2014年2月22日土曜日

宁浩(ニン・ハオ)の軌跡|主役は乗り物だ


宁浩の 《无人区》 を見ました。わあー! これ、すごい。

百度百科では、宁浩を张艺谋陈凯歌冯小刚に次ぐ四番目の映画監督なのだと言っています。しかし、これは大きな間違いです。

だって、张艺谋とか陈凯歌とか冯小刚って、素晴らしい映画なんてひとつも撮ったことがないからです……と書いたけれど、ぼくは冯小刚の映画って、ひとつも見たことがないかもしれません。

ぼくには、ぼくにとって敵であると勝手に決め込んでいる相手がいます。中国映画であれば、もちろん张艺谋陈凯歌周星驰です(あと、台湾の侯孝賢)。中国語であれば、これって漢文の試験? と思うしかない中検の親玉、上野恵一です。

そんなことはどうでもいいのですが、まずは宁浩の軌跡をさらっとおさらいしておきましょう。主に百度百科情報なので、間違いもたくさんあると思います。でも、情報は、ないよりもあったほうがいいでしょう。


宁浩は1977年、山西の太原に生まれます。子供の頃から絵を描くのが好きだったそうです。これは宁浩の映画を見たり、宁浩について語ったりする場合、覚えておくべきことでしょう。

大きくなってからは、自転車関係の仕事(詳細は不明)をやったり、バンドをやったりします。山西艺术职业学院を卒業して、劇団の舞台美術や広告関係(MTV)の仕事をして、写真や映像のカメラマンとかをやっていたみたいです。


それから宁浩は、北京师范大学艺术系に入学して、監督を学びます。実のところは、北京で暮らしたかったというのが、北京师范大学艺术系に入学した理由のようです。卒業作品として

《星期四,星期三》 2001

を作ります。これは2001年北京大学生电影节の最優秀監督賞を受賞します。

その後、宁浩は北京电影学院に入って静止画の撮影を学びます。映画監督からはとても迂回しているように見えますが、絵を描くのが好きな宁浩にとっては、当然の選択だったのかもしれません。


彼が、卒業前に自費を投じて作ったのが

香火》 2003

です(監督、脚本、撮影)。《香火(香火〜インセンス)》 は、第4回東京フィルメックス最優秀作品賞、香港国际映画祭アジア部門金賞など、各国で多くの賞を獲得します。

舞台は宁浩の故郷山西であり、一貫して山西弁が語られます。これも、宁浩映画の特徴的なスタイルのひとつになります。すべてを普通話で語ってしまおうとするのが、中国の映画やドラマの一般ですが、宁浩はこれに抗います。

宁浩の映画は、けっこう日本でも上映されているようです。


NHKアジア・フィルム・フェスティバル(NHKがアジア各国と映画を共同制作するプロジェクト)で上映されたのが

绿草地(モンゴリアン・ピンポン)》 2005

です。

上映されただけで、共同制作されたわけではありませんが、日本各地でも上映され、DVDも発売されたようです。

内モンゴルの子供が主役で、もちろんすべてがモンゴル語で語られます。この 《绿草地》 も、いろいろな映画祭で賞を獲得します。


刘德华(アンディ・ラウ)がプロデューサーとして参画した〝アジアの新人監督映画” という企画により、6本の映画が作られます。その中の一本として、宁浩は初めてすごくお金をかけた映画を撮ります。とはいえ、一般的に言えば低予算映画です。それが

疯狂的石头》 2006

です。この映画は、大陸、香港、台湾で大ヒットします。とっても笑える映画だったからです。この映画には、黄渤と徐峥が出演しています。

宁浩、徐峥黄渤のゴールデントリオは、三人いっしょだったり、ふたりいっしょだったり、一人だけだったりしながら、中国映画に活力を与えます。特に、徐峥は 《人在囧途》 2010、《人再囧途之泰囧》(これには黄渤も出ています)という低予算映画で大ヒットを飛ばします。


《疯狂的石头(クレイジー・ストーン)》 が大ヒットした後、宁浩は韓国のネットゲームと連動した短編を作ります。

奇迹世界》 2007

《星期四,星期三》 2001 を、思い出してみましょう。

宁浩は、エンニオ・モリコーネ(ふう)の音楽を使って、マカロニウェスタンに敬意を表していました。

《奇迹世界》 で明らかになるのは、宁浩がクリント・イーストウッドのファンであるということです。宁浩を、中国のクエンティン・タランティーノと呼ぶのは、とても簡単なことです。でもぼくは、“宁浩は中国のクリント・イーストウッドでもある” と言っておきたいと思います。


宁浩は、自転車と自動車が好きです。《星期四,星期三》 でも、 《香火》 でも、自転車は主役のひとりでした。商業娯楽映画の第二弾として、宁浩が撮ったのが

疯狂的赛车》 2009

です。徐峥もちょこっと出ていますが、主役は黄渤です。黄渤は、《疯狂的石头》 とこの映画で“永遠のチンピラ”というイメージを定着させます。

周星驰は去年(2013年)のお正月、《西游・降魔篇》 の公開前に「これで黄渤は、中国ナンバーワンのお笑いスターになったとか、とんでもなく勘違いなことを言っていましたが、おかげで黄渤がさらに有名になったことは、それはそれでいいことかもしれません。


《疯狂的赛车》 は興業的にも成功します。こうなれば、宁浩は監督としてやりたいことをやれます。2009年3月、徐峥が主役の 《无人区》 をクランクインします。黄渤も出ています。

この映画は、日本語で言うと西部劇です。クリント・イーストウッド+サム・ペキンパーみたいな感じです。あるいは、《激突!》 と 《続・激突! カージャック》 のスティーヴン・スピルバーグを加えてもいいでしょう。

《无人区》 は、2010年のお正月映画として公開される予定でした。しかし、《无人区》 は中国映倫(と言っていいかどうかわからないけど)の審査を通らず、いったんはお蔵入りしてしまいます。メッセージ性のない暴力が、問題になったのかもしれません。

2013年、10月14日、黄渤が新浪で “《无人区》 要来啦!(「無人区」がもうすぐやって来るぞ!)” と発言します。同日午後、中国映倫の微博は、《无人区》 の審査が通過したことを発表します。こうして、2013年12月3日、ついに

无人区》 2013

が公開されます。

去年(2013年)の暮れには、香港のスターの映画が相次いで公開されました。甄子丹の 《特殊身份》 2013、古天乐の 《扫毒》 2013 、刘德华の《风暴》 2013 です。どれも、香港映画の腐りようを露呈していました。

具体的な興行成績は別にして、《无人区》 のネットでの話題度は、香港の腐ったスター映画を大きく引き離して独走していました。


《无人区》 が公開されないまま、宁浩は次の映画を作ります。

黄金大劫案》 2012

です。1930年代、日本がずぶずぶと、無謀な戦争を本格化する中国が舞台です。

冒頭、街をぶらつくチンピラが、少女をだましてアクセサリをだまし取ります。顔はまだ見えません。おーおー。このチンピラは必ずや黄渤だろと、誰もが思うわけです。しかし、この映画のチンピラは黄渤
ではありません。

なんでかというと、このチンピラは、ついには革命運動に貢献してしまうからです。永遠のチンピラであるべき黄渤に、この役は似合いません。また、これまでの宁浩の映画では描かれなかった、もうひとつの要素が恋愛です。


今(2014年2月)、宁浩が何をしているかというと、

玩命邂逅》 2014

を作っている最中です。2013年10月クランクイン、2014年1月にクランクアップしたとのことです。

主演は、黄渤と徐峥です。再び、ゴールデントリオが揃ったわけです。黄渤の役名は耿浩で、これは 《疯狂的赛车》 の主役(黄渤)と同じ役名になっています。

なお、《玩命邂逅》 は

心花路放 2014

というタイトルで、2014年9月30日に公開され、最もヒットしたこの年の国産映画になりました。


あと、宁浩は、映画に客串(ゲスト出演)するのもけっこう好きです。

疯狂的石头 2006 (医者)
疯狂的赛车 2009 (タクシーの運転手)
刀见笑 2009 (鸡客)
桃姐 2012 (映画監督)

他にも出ている映画があるかもしれませんが、特に、《刀见笑》 では強烈な演技をやってました。

中国电影导演宁浩:鬼才导演解读成长历程


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

星期四,星期三|宁浩と佐藤正午(時間の入れ子表現)



世界では、同時に無数の出来事が起こっています。たった1つの物語ですら、あっちゃこっちゃで起きていることのすべてを、時系列にしたがってすべてを表現することは困難です。

瞬間的な出来事の場合、スクリーンの2分割とか3分割という手法を使うこともできます。しかし、知らないもの同士が、偶然の出来事によって出会うことになってしまう場合、語りの順番に時間差を設けるしかありません。

壁に落書きをしていた青年が、警察官に見つかって逃げます。青年は、自転車に乗って逃げます。ついには、自転車を捨てて、カバンを壁の向こうに放り投げて、自分も壁を乗り越えます。

大学の授業で、女の子はぼんやりとしています。教授とそりの合わない彼女は、教室を出てしまいます。彼女が、キャンパスの壁にもたれて写真集を見ていると、カバンが飛んで来て、写真集は水たまりに落ちてしまい、青年も壁の上から落ちてきます。

本来出会う必要のないもの同士が出会ってしまうとき、宁浩は、この時間差表現というか時間の入れ子表現とでも呼ぶべき手法を多用します。特に新しい表現ではありませんが、この手法は特に 《疯狂的石头》 でスリリングなお笑いを生み出すことになります。

星期四,星期三 2001

が、宁浩の1つ目の作品です(たぶん)。いきなり冒頭から、青年と女の子が出会う、時間差表現あるいは時間の入れ子表現が登場します。これは、ラストにおける、大きな仕掛けにつながっていきます。

この映画(ビデオ?)は単純に言ってしまうと、3つの物語で構成されるオムニバスです。それぞれどんな物語かというと

第一部:アート編
第二部:ミュージック編
第三部:マカロニウェスタン編

といった構成になっています。第一部:アート編は、もともと絵を描くのが好きで静止画や動画の世界に入ってきた、いかにも宁浩らしい物語です。第二部:ミュージック編も、バンドをやっていた宁浩だからこその物語でしょう。

第三部:マカロニウェスタン編は、苦しまぎれにマカロニウェスタン編というタイトルをつけてみました。エンニオ・モリコーネ(ふう)のチャラララーという音楽が、基調になっているからです。

なんでマカロニウェスタンなのか? それはたぶん、宁浩がマカロニウェスタンが好きなのだ、ということでしょう。なぜ、宁浩がマカロニウェスタンが好きなのか? それは、後の 《奇迹世界》 2007 あるいは 《无人区》 2013 で明らかになります。

そのへんの事情については、 《奇迹世界》 2007 あるいは 《无人区》 2013 で語ることにして、ここではこの第三部:マカロニウェスタン編とは、普通のおっさんが事件に巻き込まれ、戦う姿なのだ--ということにしておきましょう。

このおっさんの活躍により、3つの物語すべてが串刺しにされ、すべての出来事が同時に起こっていたことが判明します。ただし、第一部:アート編の青年と女の子は……。

日本の小説家のなかで、時間差表現というか時間の入れ子表現が好きなのが佐藤正午でしょう。とりわけ、佐藤正午の「Y」は穿越に挑戦します。宁浩と佐藤正午を並べておく--おお、けっこう素敵なことかもしれません。

なんで? 佐藤正午も宁浩も、自転車が好きだからです。

最後に言っておきます。第一部:アート編で、水曜日(星期三)、女の子のもとにたどりつけなかった青年の腕の映像を覚えておきましょう。

星期四,星期三


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

香火 2003 |むきだしの出来事、むきだしのお笑い



宁浩の(たぶん)2つ目の作品が、

香火 2003

です。宁浩が 《星期四,星期三》 2001 を撮ったとき、たぶん娄烨の 《苏州河(ふたりの人魚)》 2000 は見ていなかったように思います。宁浩が、この 《香火》 を作ったときには、《苏州河》 を見ていたように思います。

なんでこんな話をしているのかというと、東京フィルメックス(映画祭)の第1回(2000)最優秀作品賞が娄烨の 《苏州河(ふたりの人魚)》 で、第4回(2003)最優秀作品賞がこの 《香火》 だからです。

娄烨は、なんだか迷路のなかでさまよっているようです。でも、娄烨の 《苏州河》 は、なんてチャーミングな映画だったことでしょう。

宁浩は 《星期四,星期三》 でこそ、ちょこっと恋愛を描くわけですが、その後は恋愛など語りません。この 《香火》 でも、恋愛が語られれる余地など微塵もありません。だって、これは坊さんの物語だからです。


この映画の主人公は、坊さんと自転車と街の喧騒です。

坊さんは、山西省怀仁县あたりの南小寨という小さな村で、小さな庙(廟)を運営しています。怀仁县というのは北京から見ると西(左)のほうにあって、宁浩が生まれた山西の太原から見ると北(上)のほうにあります。

ある日、庙の主人である仏像が壊れてしまいます。坊さんは、新しい仏像を調達するために、自転車を借りて街に出ます。

これは、新しい仏像を調達するために、自転車に乗ってあちこちを奔走する坊さんのドキュメンタリーなのだと言われたら、なるほどと納得してしまうことでしょう。

ただし、この映画を見終わったとき、ドキュメンタリータッチなどという言葉を使ってはいけません。ドキュメンタリーはフィクションじゃない--これって、とんでもない誤解です。

ドキュメンタリーは、事実を語ろうとして必ずや物語を語ってしまうからです。人間、真実、愛、正義、悲劇、感動……哦哦。

ドキュメンタリーが物語を語ってしまうのであれば、フィクションがドキュメンタリーを写し出したっていいでしょう。


この 《香火》 は、フィクションから出発したドキュメンタリーなのです。この映画は、人間とか真実とか愛とか正義とか悲劇とか感動とか、そういった意味性をはじめから捨て去っています。

人間が勝手にでっちあげた価値観という意味性から自由になるとき、いったい何が見えてくるのでしょう? それは価値や意味から無縁な、むきだしの出来事です。

では、むき出しの出来事があからさまになるとき、そこには何があるのでしょうか? それは、即物的というか唯物的なむき出しのお笑いです。

チャップリンの映画がなんで見るに値しないのかというと、お笑いと愛と涙をごっちゃにしたとき、そこにはむきだしのお笑いなど存在するべくもないからです。キートンがなんで面白いのかというと、むき出しの出来事であるお笑いを描こうとしたからです。

たとえばマルクスの 《ユダヤ人問題に寄せて》。この本を読むとき、ぼくたちは腹を抱えて笑ってしまいます。価値とか意味とかがすべて剥ぎ取られるとき、そこではむき出しの出来事であるお笑いが明らかになるからです。

たとえばニーチェ。ぼくは苦手なところもあるのですが、お笑いとして楽しめるところも少なくありません。あるいはニーチェ大好きなドゥルーズ。ドゥルーズがニーチェを語るとき、むきだしの出来事、むきだしのお笑いを連発します。このお笑いは、マルクスがお手本になっているように思います。


そういうわけで 《香火》 の後半、坊さんが役所や師匠に頼ることは不可能であることが判明し、自分で金を工面する作戦に出るあたりから、ぼくたちはついついくすくす笑い始めてしまいます。映像がむき出しの出来事を映し出すとき、むき出しのお笑いが生まれるからです。

たとえば二胡弾き。なんで坊さんが、二胡弾きの物乞いを見て、お布施でお金を調達することを思いつくのか。《星期四,星期三》 でも、宁浩は二胡弾きを登場させました。やがては、《奇迹世界》 でも二胡弾きが登場します。

坊さんが拘置所に放り込まれると、あらかじめ勾留されていた娼婦3人が、厚生のためのビデオを見せられています。娼婦たちと坊さんのやりとり。

坊さんは、ついには算命(占い)の本を買って、算命先生(占い師)までやります。哦哦。しかし、チンピラたちに、これまで稼いだお金をすべて奪われてしまいます。

坊さんは、ひとまず村に帰ろうとします。けど、その前に、ずっと気になっていたボロボロの靴のことを思い出して、靴の底に隠しておいたお金で新しい靴を買います。

しばらく後で、宁浩は出所したチンピラが新しい靴を買うシーンを再び描きます。《奇迹世界》 をまだ見ていない人は、チンピラの黄渤が靴を買うシーンを楽しみにしておいてください。


この映画では、坊さんの行動を時系列で追うため、時間が後先する表現こそないものの、いかにも宁浩らしい、普通ならば出会うことのない人間が出会ってしまい、物語が二転三転するお笑いが展開されます。

ここで、宁浩映画の基本フォーマットが完成したわけです。

お金を失った坊さんの物語は、このあとさらにいくつかの逆転が用意されています。そのときぼくたちは、もはやくすくす笑いではなく大爆笑してしまうことになるでしょう。実際に見て、笑ってください。

あ。だけど、《星期四,星期三》 にしろ、この 《香火》 にしろ、現在(2014年)の日本の一般的な環境で、見られるのでしょうか? ぼくは、調べたことがないのでわかりません。

もともと関係のない人間同士が出会ってしまいドタバタが展開するパターンは、 《疯狂的石头》 以降の宁浩映画に受け継がれるわけですが、もうひとつの宁浩の得意技もこの映画に登場します。それは、登場人物たちが地元の言葉をしゃべることです。

じゃ山西方言ってどんななんだよと言われても、ぼくには説明できません。山西は北京の西隣りです。北京方言とは、飴を舐めながら喋る言葉などと言われます。この映画の山西方言を聞いていると、飴を二個舐めながら喋る言葉みたいな感じです。

もちろん、山西方言においてどんな単語が使われるのかについてはわかりませんが、南の言葉みたいに是shiがsiであったり、たとえば哥哥gegeがgogoだったり、了liaoがliuみたいに聞こえたように思います。

宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

绿草地 2005 |差別視線 vs むきだしのお笑い



香火》 2003 でそれなりに名前を売った宁浩が、次に手がけたのが

绿草地(モンゴリアン・ピンポン) 2005

です。この映画は、NHKアジア・フィルム・フェスティバル(NHKがアジア各国と映画を共同制作するプロジェクト)で、まず上映されたようです。ただし、共同制作作品ではありません。

詳しい事情は知りませんが、その後、日本各地でも上映され、DVDも発売されたようです。今でも、中古DVDを入手することは可能なのかも知れません。


宁浩は、最初の作品 《星期四,星期三》 2001 で北京を舞台にします。次の 《香火》 2003 は、北京から西(左)に進んだ山西省大同の近くが舞台です。大同から、ちょっと北(上)に進めば、もう内モンゴルです。

 《モンゴリアン・ピンポン》 という映画は、東京ではイメージフォーラムというところで上映されたようで、今でも(2014年3月)上映当時のサイトが残っていて、予告編も見られます。

イメージフォーラムだって客を集めたいわけで、このサイトにおいてこの映画を、雄大な自然とか、子供たちの無邪気な好奇心とか、「草原のむこうには何があるのか?」などというスコープで語っています。

このような大人的視線というか、良い子な視線というか、そういうところからこの映画を語ってしまっていいのでしょうか。

そんな視点に反論したいのはやまやまなのですが、しかし、堂々と反論できないようにも思います。それはこの映画が、いわゆる自然礼賛、子供礼賛のスコープに収まってしまっていると言われても、しかたないように思うからです。


百度百科では、この映画のジャンルを “剧情(一般ドラマ),喜剧” と位置づけています。この映画の、いったいどこがお笑いなのでしょう。

天安門で家族写真を撮る! これがアメリカのお茶であるコーヒーというものだ! ELLEという雑誌って、なんなんだ? テレビというものを見てやろう!

このような内モンゴルのなかでも、特に田舎もんな人々の言動のあれこれが、お笑いなのです。このお笑いは、自然礼賛とか子供礼賛とかとは、まったくかけ離れたものです。

もちろん、ピンポン玉という ”国球” を北京に返してやろうという子供たちの気持ちだって、非文明的な地域に生きる子供たちの愚かさとして、思い切り笑えるネタなのです。

北朝鮮の人々にとって、動物園に行く楽しみとは何か? それは愚かな動物を見て、笑うことだ--こういうのと同様ないわゆる差別的な視線が、この映画をお笑いに仕立てあげているのです。

NHKとかイメージフォーラムは、このような差別視線でのお笑いにまったく気づいていません。あるいは、気づいていないふりをしています。乱暴な世代論で言ってしまえば、70后以前の中国人が、このような差別視線から、この映画を笑えます。


宁浩つながりで言うと、注目しておくべきは徐峥が主演した 《人在囧途》 2010 でしょう。90后の中国人の女の子とお昼ごはんを食べながら、なんで 《人在囧途》 は面白いのか? という話題になったことがありました。

《人在囧途》 とは、中国人自身が文明化されていない非文化的な中国人をお笑いのネタにしたところが、新鮮な出来事だったのでした。そんなのは魯迅が 《阿Q正传》 で描いたことだろ--と言ってしまえば、それはそうなのです。

しかし、《阿Q正传》 とは当時の(あるいは今でも)インテリだけしか笑えない物語でした。今や、多くの文明化された中国人が 《人在囧途》 を大笑いできるようになったのです。このような事態を、魯迅が歓迎するかどうかは知りません。

《绿草地》 が非文化的な文明化されていない人々を笑うとき、その対象が内モンゴルの田舎者だったのに対して、《人在囧途》 では中国の田舎者をお笑いにして、しかも大ヒットしたのは、ひとつの事件だったように思います。


宁浩は、《星期四,星期三》 と 《香火》 では、特に主義主張とかを述べはしませんでした。《绿草地》 以降の映画においても、それが宁浩映画の大きな特徴のひとつであると言っていいでしょう。

また、登場人物の多くは非文化的で文明化されていない人々というか、田舎のチンピラとか田舎で普通に生きている人とかです。これも、宁浩映画の大きな特徴のひとつです。

この 《绿草地》 だって、宁浩にしてみれば内モンゴルの田舎で普通に生きている人々を、もちろん差別視線ではなく、ただ単に面白がって描いただけなのでしょう。

一般には差別視線で笑われる事態を、むきだしの出来事として笑うこと--これって、とても勇気のいることです(そんなことを試みた一人が魯迅です)。一般には差別者と同等扱いされてしまうため、一般には良い子はこういう領域には近づきません。

特にいい例ではありませんが、最近(2014年)のはじめに放映された 《明日、ママがいない》 がそんな例のひとつでしょう。物語がやがて子供賛歌、人間賛歌の方向へ、どんどんつまらなくなっていくのは見え見えなのに、差別好きな人々はこのドラマを差別ドラマだと言って非難していました。

この 《绿草地》 がいったん公開されてしまえば、70后以前の連中は差別視線で大笑いし、しかし、映画の評価としては自然賛歌とか人間讃歌とか子供讃歌とか、そういう視点で語られることは、宁浩自身よくわかっていたはずだと思います。

人間讃歌とか子供讃歌とか、とりわけそういうのを好むのが、80后なインテリ層でしょう。彼らは、“健康”とか“環境”とか、いわゆる先進国の権力や企業が飯の種にするビジネス戦略にころっとだまされます。

じゃあ、90后はどうなんでしょ? 見ねーだろな、こんなもん。

宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

疯狂的石头 2006 |クレイジー・ストーンの下落



古天乐の 《扫毒》 は、大陸では2013年11月29日に公開されました。ちょっと人気になったけど、とんでもない駄作です。一瞬人気トップになったものの、12月3日に公開された 《无人区》 が、他を大きく引き離してどっかあ~んと大ヒットしています。

今のところ(2013年12月半ば)、まだ 《无人区》 は見られません。とりあえず

疯狂的石头 2006

でも見てみましょう。《无人区》 の監督である宁浩は、この 《疯狂的石头》 で一躍若き人気監督になりました。

刘德华は大スターであるわけですが、自分の映画会社で映画を作るプロデューサーでもあり、この 《疯狂的石头》 のプロデューサーの一人です。刘德华と言えばアクション大作というイメージですが、この人は変な映画をプロデュースするのがけっこう好きです。

刘德华が製作した最初の映画が 《九一神雕侠侣》 です。《九一神雕侠侣》 のシナリオを書いたのは、王家卫刘镇伟の二人という豪華版でした。本来のタイトルは 《九一神雕侠侣》 ではないのですが、いつの間にかこのタイトルになってしまったようです。

なんで 《九一神雕侠侣》 なのかというのは、見ればわかるでしょう。《九一神雕侠侣》 は香港映画におけるひとつの教典です。これに続いて刘德华がプロデュースした 《九二神雕侠侣》 1992 というのがあります。正式なタイトルは 《九二神雕侠侣之痴心情长剑》 といいます。

ぼくは大して刘德华の映画を見たことがあるわけではありませんが、《九二神雕侠侣》 は、きっと刘德华主演が主演した最低の駄作だと思います。これはお笑いを目指した映画で、お笑い映画が失敗するととんでもないことになります。どれだけくだらないかは、映画を見てのお楽しみ。

そんなわけで刘德华が自分は出演せずに、プロデュースしたのが 《疯狂的石头》 というお笑い映画の大経典です。小成本电影(低予算映画)ながら、監督もシナリオも役者も新鮮なメンバーが集結し、大ヒットを飛ばしました。

西游·降魔篇》 で大スターの一人になった黄渤は、この 《疯狂的石头》 で一躍有名になります。《人在囧途》の徐峥は、この作品から活躍の舞台をテレビドラマから映画へと移行していきます。もちろん、ほかの役者たちにも注目が集まります。愛すべき道哥を演じた刘桦は 《大闹天宫》 では、东海龙王を演じています。

《疯狂的石头》 のあと、宁浩はこんな作品を作っています。

奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
黄金大劫案 2012
无人区 2013
玩命邂逅 2014

《奇迹世界》 は、韓国の3Dネットゲーム用に作られた短編のようです。なお、《无人区》 が撮影されたのは2009年だと書かれていますが、どういう事情で今年(2013年)の末に上映されたのかはわかりません。また、《玩命邂逅》 は、2013年10月から撮影が始まり、現在(2013年末)も撮影が続いています。いずれも黄渤が出ています。

《西游降魔篇》 の公開される前、周星驰は「これで黄渤はコメディスターのナンバーワンになった」とか言っていました。周星驰は何かとんでもなく誤解しているようです。周星驰。黄渤は、君が有名にしたわけじゃない。

《西游降魔篇》が大ヒットしたのはあれこれが話題になったおかげで、みんなが一種の集団催眠にかかったというのが本当のところのように思います。公開から1年近くが経って、百度や豆瓣での人気も確実に下がってきています。決して経典にはならないでしょう。

豆瓣には「周星驰、お前は完全に終わってる」「腐ってる」「俺の好きだった星仔はどこに行ってしまったんだ」とか、きちんと正しい評価を書いている人もいます。

《疯狂的石头》 のお笑いは相当入り組んではいるのですが、基本的には、たとえばやはり小成本电影でありながらヒットを飛ばした 《人在囧途》 などとつながる、なんというか土着ものと言えるように思います。

この映画は、たぶん日本でも公開されているので、なにがどう面白いのかとか、ストーリー展開とか、あれこれ情報があることでしょう。

《疯狂的石头》 导演宁浩:电影是一场冒险


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

奇迹世界 2007 |永遠のダーティ・ハリー



今(2013年年末)、中国でヒットしている映画は、宁浩が監督している 《无人区》 です。甄子丹 の《特殊身份》 とか、古天乐の 《扫毒》 とか、刘德华の  《风暴》  とかを、大差で引き離してダントツのトップです

奇迹世界 2007

を見てみました。哇塞! これいいよ。

疯狂的石头》 2006 で大ヒットを飛ばした宁浩が、次に手がけたのが、韓国の3Dネットゲーム宣伝用の微电影(ミニ映画) 《奇迹世界》 2007 です。30分くらいの映画(ビデオ?)です。

冒頭、こそ泥で刑務所に入っていた男が出所します。この男を演じているのが黄渤です。また、密かに黄渤を監視している男がいます。こっちは、黄渤が再犯をしでかすのを監視している刑事です。

黄渤の役名は三儿ですが、《疯狂的石头》 で黄渤が演じたこそ泥黑皮と考えていいでしょ。《疯狂的石头》 は、黑皮が橋の上を逃げているところで終わります。この映画では出所した三儿は、橋の上で久々のシャバの開放感を味わいます。

ゲームセンターで三儿は、対戦相手から現実のSOSのメッセージを受け取り、殺されそうになっている女を助けようとします。しかし、携帯が使えません。通りがかりの人の携帯を使って電話しようとしますが、それを見た刑事が三儿を逮捕しようとします。

こうして、三儿から見れば大逃走劇、刑事から見れば大追跡劇が始まります。《特殊身份》 とか 《扫毒》 に欠けているのは、この映画におけるようなスピード感というか、肉体の酷使感だと思います。三儿も刑事も、ほんとにまあ全力でよく走ります。

宁浩は、伏線のはり方とか、緊迫した状況下におけるお笑いの導入とか、そういうのがすごくうまいと思います。たとえば、二胡を引く盲目の老人。たとえば、刑事が金網に引っかかってしまったときの、三儿が刑事をからかい様子……などなど。

さて、この追跡劇(逃走劇)って、どっかで見たことがあるように思いませんか? そう。大昔の映画--クリント・イーストウッドの 《ダーティ・ハリー》 でしょ、これ! ついには、あの砕石工場だったかセメント工場だったかも登場します。

クリント・イーストウッドの中国語音訳は、克林特·伊斯特伍德です。《ダーティ・ハリー》 は 《肮脏的哈利》 とか 《警探哈里》 などと呼ばれています。久しぶりに見てみようかなー……そんなわけで、いま見ています。やっぱり、これは傑作です。監督はドン・シーゲル……。

ところで三儿にとっての逃走劇は、ただの逃走ではありません。殺されかけている女の子を助けるのが目的です。さあ、彼は女の子を救えるのでしょうか? もちろん、宁浩はそんなに単純ではない話に持ち込んでしまいます。それは実際に見て楽しんください。

奇迹世界 Soul of the Ultimate Nation.2007 Part1


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

疯狂的赛车 2009 |ジャンは鳴った!



疯狂的石头》 2006 が大ヒットした結果、“疯狂的”モノがあれこれ作られます。もちろん、“疯狂的”は宁浩が発明したわけではありません。“疯狂的”で検索すると、あれこれ出てきます。

疯狂的动物 1930
疯狂的果实 1956
疯狂的代价 1989
疯狂的兔子 1997
疯狂的背后 2007
疯狂的麦穗儿 2008
疯狂的玫瑰 2009
疯狂的精神病患者 2009
疯狂的骗局 2010
疯狂的GPS 2011
疯狂的疯狂 2012
疯狂的导演 2013

2007年以降の “疯狂的” モノは、《疯狂的石头》 にあやかったものと言っていいでしょう。

《疯狂的动物》 1930 とは、マルクスブラザースの 《Animal Crackers(けだもの組合)》 のことですが、《疯狂的果实》 1956 とは何でしょう? 石原慎太郎原作 ・ 脚本、石原裕次郎主演、中平康監督の 《狂った果実》 です。


宁浩自身も、もう1つ “疯狂的” モノを作ります。

疯狂的赛车 2009

この映画は “終” という文字から始まります。いったい何が終わったというのでしょう。もちろん、映画としては自転車ロードレ
ースのゴール地点ではあるのですが、宁
浩はなぜ “終” にこだわったのでしょう。

たぶん、宁浩にとって何かが終わり、新たな何かがスタートしたのでしょう。何が終わったのかというと、宁浩にとっての映画の習作が終わったように思います。つまり、この 《疯狂的赛车》 から、本格的な宁浩映画がスタートしたのだ--というように思います。

《疯狂的石头》 のヒットにより、宁浩はすぐにでも新作を作れたことでしょう。ところが、《疯狂的石头》 とこの 《疯狂的赛车》 の間に、宁浩は30分の短編 《奇迹世界》 2007 を撮っています。この 《奇迹世界》 をもって、宁浩にとっては習作時代が終わったのだと思います。

これまで、宁浩は何を語り、何を描いてきたのでしょうか。

星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2005
疯狂的石头 2006

それはむき出しの出来事であり、むきだしの出来事こそが生み出すむき出しのお笑いでした。むき出しの出来事が起こってしまうとき、人は、出会うべくはずもない人々と出会ってしまったり、出会うべくはずもない人々とすれ違ったりします。

むき出しの出来事というのは、人が、価値観とか評価とか、そういうわずらわしいものを語ってしまう以前の、単なる出来事のことです。

単純に言ってしまえば、ソクラテスとプラトンに対するアンチテーゼです。ソクラテス、プラトンよ。お前ら、ギロチンで許されるとでも思っているのか?

出来事は同時に無数に生起しているため、それを映像にする際には、映像における時間のズレが生じ、それはスリルとミステリーとお笑いを生み出します。

そのうえで、宁浩はさらに、何にチャレンジしなければならなかったのでしょうか。これまでの宁浩の映画になかったもの--それはスピードです。

奇迹世界 2007

は、クリント・イーストウッドの 《ダーティハリー》 をお手本にした、人間と人間あるいは車と車の逃走劇 ・ 追走劇であり、この短編によって宁浩は、映画におけるスピードを習得しました。

こうして、宁浩が宁浩映画を作るための準備は整いました。それが 《疯狂的赛车》 の冒頭における “終” が意味するものだと思います。

《疯狂的石头》 を作ったとき、本当に面白いのかどうか、客に受けるのかどうか、絶対の自信はなかったことでしょう。この 《疯狂的赛车》 から、本当の宁浩映画がスター
トしました。

宁浩は、これまでもかなり乗り物にこだわってきました。たとえば 《香火》 では主役のひとりが自転車でした。

宁浩(ニン・ハオ)の軌跡 -- 主役は乗り物だ

宁浩が、スピードが大きなテーマであるこの映画において、主役のひとりとして自動車ではなく自転車を選んだのは当然のことでしょう。もちろん、自動車だって大活躍するのですが……。


《疯狂的石头》 も、相当登場人物たちが入り乱れていましたが、 《疯狂的赛车》 ではさらに複雑になります。

黄渤は自転車ロードレースの選手で、耿浩という名前です。この耿浩という名前は覚えておきましょう。耿浩はレースにおいて0.01秒の差で優勝を逃します。耿浩にはお師匠さんがいるのですが……。


まず、耿浩に絡むのがインチキ商売をやっている李法拉(九孔)という、名前からしてうさんくさいハゲおやじです。“法拉利” といえば、車のフェラーリのことです。

李法拉はあっさり引っ込んでいくようにも見えるのですが、最後の最後までドラマに絡みます。また、李法拉には巨体の奥さん(董丽范)がいます。


李法拉は、奥さんを殺すために二人組の殺し屋を雇います。殺し屋の名前はわかりません。下っ端(巴多)が兄貴分(王双宝)を “姐夫” と呼んでいるので、そういう関係なのかもしれません。

この二人組はかなりデコボコなので、金を儲ける気はあるのですが、特に悪意があるわけではなく、事態を悪い方へ悪い方
へと複雑化していきます。

この二人は、まずは李法拉の奥さんを殺そうとするのですが、奥さんから自分の殺し代よりも高額で李法拉殺しを依頼され、引き受けてしまいます。


タイで、麻薬の運び屋を殺して、自分一人で金をせしめようとするのが察猜です。察猜はChatchaiの音訳で、タイにはたくさんの察猜さんがいるのでしょう。

演じているのはWorapoj Thuantanonという人で、ムエタイのチャンピオンだった人だそうです。殺し屋コンビのおかげで大活躍をする羽目になるのですが……それは見
てのお楽しみです。


察猜と取引するのが台湾のやくざです。ボスが东海(戎祥)で、阿杰(高捷)などを率いています。

こいつらのテーマミュージックが演歌の中国語版で、けっこう雰囲気を盛り上げてくれます。

こいつらも、けっこうデコボコです。最初に登場するときには、船の上で麻雀をしているのですが、きちんと取引しようとしていたと思われる相手をみんな殺してしまいます。


あれこれの事情があって、耿浩を逮捕しようとする刑事二人組も絡んできます。黄渤は 《疯狂的石头》 のラストでは、まんまと逃げましたが(もっとも 《奇迹世界》 を見ると、映画が終わった後に逮捕されたようですが……)、今回はこの刑事から逃げ切れるのでしょうか?


あと、書いておく必要があるのが徐峥の存在です。《疯狂的石头》 では黄渤も徐峥も脇役の一人でした。しかし、宁浩は以降、黄渤と徐铮との強力なトリオを形成し、この三人は中国映画を活性化する重要な役割を担うことになります。

この映画では黄渤が主役ですが、宁浩が次に作る 《无人区》 では徐峥が主役で、
黄渤は脇に回っています。

《疯狂的石头》 とこの 《疯狂的赛车》 があったからこそ、《人在囧途》 と 《泰囧》 が生まれたと言っていいでしょう。

徐峥が何を演じているのかというと、葬儀屋です。なんで葬儀屋が絡んでくるのかというと、実は耿浩のお師匠さんが死んでしまい、耿浩はお師匠さんのお墓を作ろうとするからです。

徐峥というと 《疯狂的石头》 や 《泰囧》 での頭ツルツルなイメージもありますが、ここでは割とインテリ風なメイクになっています。そして、このイメージは 《无人区》 に引き継がれることになります。

《疯狂的赛车》 とは関係ありませんが、今日(2014年4月29日)徐峥主演の映画が公開されました。タイトルは 《催眠大师》 です。このタイトルは、邓超杨幂が主演する  《分手大师》 からパクったものでしょう。

 《催眠大师》 で、徐峥のお相手をするのは莫文蔚です。このおばちゃまの存在は、中国文化圏では強力なのでしょう。そのうち、見てみましょう。


この 《疯狂的赛车》 では以上のメンバーが、脚や自転車やバイクや車やトラックで駆けずり回ります。展開が早くて、話がどんどんぐちゃぐちゃになっていきます。

正直、語学力がないので、何度もこの映画を見て、やっと腹を抱えて笑えるようになりました。一度見て、笑えなかったからといって、あきらめないでください。必ずや、大笑いできます。

宁浩の得意技のひとつが、もろに方言な発音です。この映画では闽南话、陕西话、武汉话が語られるそうですが、ぼくには発音が変だなあくらいしかわかりません。

映画監督のなかには、自らの映画のパロディを何度も反復する人もいます。その代表が刘镇伟です。

宁浩は当然、刘镇伟の映画をたくさん見ていることでしょう。中国の(というか香港の)お笑い映画を語るとき、重要なのは周星驰とか、ましてや王晶とかではなく、刘镇伟だからです。

《疯狂的赛车》 でも、かつての宁浩映画の断片があちこちで登場します。自転車はもちろんですが、《香火》 のお経が流れたりとか、ホテルの受付嬢とか、警察署で捕まっている娼婦とか、あれこれ楽しんでください。

《香火》 がいかに傑作だっかた、よくわかると思います。

あと、火のついたままのジッポを放り投げるシーンは、今後のために覚えておくといいと思います。


この映画は単純に言ってしまえば、宁浩が作った美女の登場しない 《パルプフィクション(中国語名:低俗小说)》 です。そのまま音楽だって流れます。

ただし、ぼくは宁浩を単純に中国のタランティーノと呼んでしまうのはどーだかなあと思います。そのへんは、またそのうち考えてみましょう。

疯狂的赛车-沉浮的兄弟歌曲


疯狂的赛车片花.part1


疯狂的赛车片花.part2


疯狂的赛车片花.part3


疯狂的赛车超爆笑片段,灰常的international~~~


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

无人区(無人区) 2013 (2010)|“出来事” の激突と爆発



宁浩(ニン・ハオ)の軌跡 -- 主役は乗り物だ

でも紹介しましたが、

无人区 2013(2010)

は、あわや幻の映画になってしまうところでした。《疯狂的石头》 2007、《疯狂的赛车》 2009 と立て続けにヒットを飛ばした宁浩は、《无人区》 を2010年のお正月に公開する予定でした。

しかし、審査に通らなかったため上映できません。その後、丸4年かけて6度目の審査でようやく通ります。こうして、この映画は2013年12月3日に公開され、ヒットします。

審査のたびごとに、宁浩がどの程度手を入れたのかはわかりませんが、宁浩や徐峥黄渤のファンにとっては、とにもかくにもようやく見ることができたわけです。


「すごい! 見てみろ」

くらいしか言えない映画というのが、ときにはあります。たとえば、ゴダールの 《ウィークエンド》 とかでしょうか。

この 《无人区》 は、そんな映画です。

《疯狂的石头》 と 《疯狂的赛车》 には、それなりにあれこれのお飾りがあったわけですが、ここではすべてのお飾りは剥ぎ取られ、むき出しの出来事が映像として提示されます。

なにしろ、出来事は、500キロ続く無人地帯の砂漠で起こるのです。冒頭、砂漠で黄渤が鷹だか隼だかをつかまえています。黄渤は警察に捕まってしまい、車で護送されます。

黄渤が警察をからかっていると、何の前触れもなしにでっかいジープが警察の車に体当たりして、警察の車はどっかーんと転がり、警察は死んでしまいます。

ジープに乗っていた男は、黄渤のボスのようです。

さあ、車と車がぶつかるぞ! であれば心の準備もできるわけですが、黄渤のばか話しににやにやしているとき、いきなりジープに体当たりされたら心臓に良くありません。この唐突な暴力表現が、この映画が表現する “出来事” の象徴です。

ぼくたちは映像の快楽を、思う存分味わえばいいでしょう。


ボスはこのことを警察に通報し、裁判になります。ボスを弁護するために、街からやってきた弁護士が徐峥で潘肖という名前です。この映画では、ほかの人の名前はほとんどわかりません。

徐峥はまんまとボスを無罪にし、弁護料の支払いについて交渉します。しかし、ボスは10日待ってくれと言います。

そういうわけで、ボスの妻がお気に入りの紅い乗用車を担保代わりにして、徐峥は自分の街へ戻る旅に出ます。

ボスは金など払うつもりはなく、黄渤に徐峥を殺させるつもりです。黄渤は無人地帯で、徐峥を待ち伏せしています。しかし、徐峥は黄渤に出会う前に、わらを運ぶトラックに出会ってしまいます。

このトラックがたらたら走っているので、徐峥は追い抜こうとしますが、トラックの運転手は徐峥の車のフロントガラスに唾を吐きかけます。怒った徐峥は車を止め、トラックから降りてきた運転手の帽子を奪い、帽子でフロントガラスの唾を拭きます。

運転手は徐峥をぶっ飛ばし、トラックからもうひとり降りてきます。このトラックの二人も名前はわかりません。しかし、この二人を演じているのは 《疯狂的赛车》 の殺し屋コンビです。今回は、巴多王双宝を哥と呼んでいます。宁浩ファンは、ここで大喜びできたことでしょう。

王双宝は、徐峥の車の運転席に小便をぶちまけます。徐峥とトラックの並走はさらに続き、トラックの二人は徐峥の車のフロントガラスにモノを投げつけ、フロントガラスをひび割れだらけにしてしまいます。

徐峥はジッポに火をつけ、ジッポをタバコの箱に入れ、トラックのわらに投げつけます。わらが燃えて火事になります。こうして徐峥は、まんまとトラックの二人に仕返しします。《疯狂的赛车》 のジッポを、覚えているでしょうか?

その先で、車が故障したふりをして、徐峥に助けを求めようとしているのが黄渤です。しかし、徐峥はフロントグラスがぐちゃぐちゃなため、はじめは黄渤が目に入りません。あわてて急ブレーキをかけるのですが、黄渤は車にぶつかって吹っ飛んでしまいます。

徐峥は、息も絶え絶えな黄渤を車に乗せて、なんとかする手立てはないものかと車を走らせます。すると、無人地帯であるにもかかわらず、ぼろぼろで木造のガソリンスタンド--“夜巴黎” にたどり着きます。

こうして、出来事と出来事が激突する映像のスペクタクルが始まります。


宁浩は、この映画を 《绿草地》 を作っているときに構想したそうです。ならば、宁浩映画を

香火》- 《绿草地》 - 《无人区》 - 《疯狂的石头》 ……

という順番で考えると、宁浩が表現してきたことの流れが、とても理解しやすくなると
思います。

出来事は突発的に生起します。このブログの宁浩関連のほかの記事でも何度か書いてきましたが、出来事が生起するとき、そこには意味や価値は関わっていません。ソクラテスやプラトン、あるいは孔子が介在する余地はまったくないのです。

つまり、出来事と、“愛とは” とか “人間とは” とか “生きるとは” とかと、あるいは “自分とは”  とか、あるいは  “理想” とか “正義” とかとは何の関係もないということです。

ディオゲネス・ラエルティオスの 《哲学者列伝》 で、もっとも笑えるのは著者のディオゲネスという名前とは何の関係もない犬の哲学者・ディオゲネスとプラトンの数々の対決です。

たとえば、プラトンが道端で演説していて「机というものは」と言うとき、犬・ディオゲネスは「机は机であって、“机というものは”とはいったい何なんだ」みたいいなことを抗議します。

ただの“机”を“机というもの”と言ってしまうとき、たたの物を抽象化してしまいます。それをたとえば “ソクラテス化” とか “プラ
トン化” と呼んでもいいでしょう。

単純に言えば、“意味付け”とか “価値化” みたいなことでしょう。そんなことは、たとえば現代の日本においては韓国系の哲学者におまかせしておきましょう。そうではなくて、出来事を出来事として表現してきたのが宁浩です。

宁浩は、出来事が生起する現場、その瞬間をずっと描いてきました。

そして、出来事と出来事は互いにぶつかり合い、おかげで新しい出来事が生起し、事態は(つまりは映画は)どんどん複雑になってきたわけです。


この映画の豆瓣での評価は、現在(2014年5月1日)、155,546人が投票して8.1とかなりの高評価です。ただし、熱烈な宁浩ファンであればあるほど、★5つではなく★4つに止めているようにも思います。

(豆瓣の人気投票については、たとえば 《步步惊情》 を参照してください)

なぜかというと、それは……わざわざ語る必要はないでしょう。実際に映画を見て、ちょっと残念に思ってください。

黄渤 徐峥2013新电影《无人区》 终极版预告片


按这看720p高清完整版[无人区]


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宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
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无人区 2013
黄金大劫案 2012

黄金大劫案 2012|娄烨と王家卫、そして宁浩



宁浩

无人区 2013(2010)

の審査が通らず 《无人区》 を公開できないまま、次の映画を撮ります。

黄金大劫案 2012

1930年代、日本がずぶずぶと中国にのめり込む時代を背景とした映画として、たとえば

紫蝴蝶 2003

があります。たぶん、日本でも公開されたり、DVDが販売されたりしているように思います。娄烨が 《苏州河》 2000 の後、はじめての本格的な商業映画として作った映画です。

宁浩は、《黄金大劫案》 を作るうえで、《紫蝴蝶》 を意識していたことでしょう。蝶だって出て来ます。

ぼくは、いつか李冰冰について語りたいと思いながら、ついつい彼女の映画をテーマにできませんでした。《紫蝴蝶》 の李冰冰は、とてもきれいです。

宁浩のカットだって、きれいだしうまいとは思います。でも、今、《紫蝴蝶》 を見直してみると、娄烨のカットの一つひとつのなんとすごいことでしょう。これが映画なんだと、素直に喜びたくなります。

《紫蝴蝶》 は、決して出来のいい映画ではないのですが、宁浩はもちろんのこと、王家卫だって娄烨のカットには負けてしまいます。ここには最上の映画のカットがあります。

娄烨は、2001年の9.11に触発されて 《紫蝴蝶》  を撮ったはずです。

資本主義というか帝国にとって、最も都合のいい言葉の代表が “環境” と “健康” だったわけですが、この時ここに “テロ” という言葉も追加されます。

“テロ撲滅” という言葉を使えば、あらゆる暴虐が許されることになったわけです。アメリカもロシアも中国も、もちろん日本も……。

とはいえ、この三人--娄烨、王家卫、宁浩--のカットは、現代の中国映画における最上のカットなのです。この三人の映像だけが、現代中国における映画です。

単純に言うと、この三人はもちろん中国の内部にもいるわけですが、中国の外部から映像を表現することもできます。

特に引き合いに出す必要もないのですが、张艺谋とか陈凯歌とか冯小刚とか、あるいはもっと最低な侯孝贤の映画に、素敵なカットなんて一つもありません。


宁浩は、この 《黄金大劫案》 の主役を黄渤が演じてはいけないことを、良くわかっていたことでしょう。

だからこそ、黄渤は、最初と最後にちょこっと登場します。そういうわけで、ぼくはこの映画について、何かを語ろうとは思いません。

ぼくたちは、たぶん今年(2014年)公開されるであろう徐峥と黄渤の 《玩命邂逅》 を待っていましょう。耿浩の運命はどうなるのでしょう。

[Sina Music]《黄金大劫案》片尾曲崔健《迷失的季节》


いいのかなー。こんなの? でも、宁浩のあれこれを良く語っているとは思います。

黄金大劫案 特辑之宁浩归来


《黄金大劫案》佟大为姚晨陶虹宁浩亲友场:欢笑与眼泪齐飞


Sina Music]程媛媛《黄金大劫案》 演绎崔健歌曲mv


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
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无人区 2013
黄金大劫案 2012

2014年2月16日日曜日

封神英雄榜 2014 | 妲己=张馨予!



今年(2014年)1月31日から 《封神英雄榜》 の放送が始まりました。タイトルを見ればわかるように、新しい 《封神榜》 です。最近の古装戏の流れにしたがって、このドラマの登場人物もみんながみんな若いです。

《封神榜》 あるいは 《封神演義》 という物語は、中国四大名著には入れてもらえないものの、中国では誰もが知っている伝奇です。紀元前17世紀頃から 紀元前10世紀ころに存在した商または殷(いん)という王朝が、周という国の武王に滅ぼされる物語です。

商の最後の君主、纣王はもともと暴虐なんだけど、妲己を爱妃に迎えることにより、纣王は日夜、酒池肉林の宴会を開き、妲己の言いなりになって、さらに残虐さを増します。

というわけで 《封神榜》 の見所というのは、狐に取り憑かれた妲己の悪女ぶりです。日本でおなじみ(でもないかもしれない)のは

封神榜 2006

 でしょう。范冰冰が、妲己を演じていました。だら~っと見ているぶんには、范冰冰がきれいなので、楽しめないわけではないドラマだったと思います。


このドラマで誰が妲己を演じているかというと、张馨予です。张馨予は、昨年(2013年)の暮れから今年のはじめにかけて放映された 《新天龙八部》 2013 では马夫人を演じ、このドラマでは妲己を演じています。わー。

今や悪女といえば、すっかり、张馨予ということになってしまったということでしょう。于正の 《新笑傲江湖》 2013 に続く金庸ドラマが 《新神雕侠侣》 2015 ですが、このドラマでは张馨予は李莫愁を演じます。

わあ。楽しみ~。でも、ということは、ぼくたちは、来年(2015年)まで生きていなくちゃいけないということですね。

张馨予は、いつかは武则天(則天武后)を演じるのかもしれません。でも、武则天を演じるにはまだまだ若いのでしょう。范冰冰が起死回生を賭ける(のであろう) 《少女武则天》 2015 では、张馨予もちょこっと出るようです。

さて この 《封神英雄榜》 というドラマにおいて张馨予がどんなかだというと、なんだかなあ……あまり感心しません。何が不満なのかというと、つまりは、あまり色っぽくないということです。

それはそうなんだけど、たらたら見続けていると、けっこうお笑いに傾いてきます。おーおー、けっこう面白いとこもあります。だったら、最後までつきあってみましょうか。


ぼくはこの記事で、このドラマのヒーローである姜子牙について何も語っていません。あるいはキーワードであるはずの女娲についても何も語っていません。

姜子牙あるいは女娲、 《封神演义》 などについては、日本のWebでもあれこれ調べられることと思います。あるいは、下の関連記事などを見てください。

古裝神幻劇《封神英雄榜》主題曲MV on Vimeo


封神英雄榜 片尾曲 雨落长安


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2014年2月10日月曜日

风暴 2013|刘德华、お前もか!



刘德华の 《风暴》 2013 は昨年(2013年)12月12日に公開されました。そのちょっと前に公開された甄子丹の 《特殊身份》 と、古天乐の 《扫毒》 はあまりにひどすぎました。じゃあ刘德华、君はどうなのか?

NHKの〝テレビで中国語”に出ている段文凝の本職は講演会などのタレント活動です。どんなことをやっているかというと、写真を見せて「みなさーん。この人は誰でしょう?」とか言います。それが誰かというと、ブルース・リーとジャッキー・チェンとアンディ・ラウ……。

李小龙、成龙、刘德华って……あまりに古くありませんか? 日本における民間の中国語学校で中国語を勉強してるのはじいさんばかりだから、こういうことになってしまうということもあります。でも、もっと深刻な問題もあります。

日本で公開される中国映画は、役者の高齢化が著しいわけです。たとえば、昨年公開された中国映画なら 《大魔術師》 とか 《グランド・マスター》 とか 《101回目のプロポーズ》 とかです。今年(2014年)の4月にはは 《铜雀台》 が公開されるそうです。

トニー・レオン、ジヨー・シュン、リン・ジーリン、チョウ・ユンファ……。

どさくさまぎれに 《大武当》 も公開されたように思います。ヒットするわけはないのですが、杨幂主演の映画が公開されたのはいいことだと思います。しかし、杨幂が主演して初めて大ヒットした 《小时代》 2013 は永遠に公開されることはないでしょう。

まあ、いいや。そんなことは、ぼくが心配するべき問題ではありません。

「もはや香港映画なんて存在しない」「今でも香港映画は存在する」このふたつは、どちらも真実です。この 《风暴》 は、どちらかというと香港映画に属しているようです。とはいえ、大陸から胡军姚晨を連れてきています。

日本人にとって胡军の代表作は 《天龙八部》 2003 の乔峰でしょう。《赤壁》 で唯一かっこよかったのも胡军でした。姚晨は日本では知られていないかもしれません。《武林外传》 というテレビドラマで有名になった女の子です。

じゃあ、この映画って、いったいどうなのよ? 何も言わないでおきましょう。豆瓣での評価は、甄子丹の 《特殊身份》 や、古天乐の 《扫毒》 よりはましなようです。

刘德华新片《风暴》先行预告片


《风暴》刷新票房纪录 刘德华为成龙做宣传