2014年2月22日土曜日

绿草地 2005 |差別視線 vs むきだしのお笑い



香火》 2003 でそれなりに名前を売った宁浩が、次に手がけたのが

绿草地(モンゴリアン・ピンポン) 2005

です。この映画は、NHKアジア・フィルム・フェスティバル(NHKがアジア各国と映画を共同制作するプロジェクト)で、まず上映されたようです。ただし、共同制作作品ではありません。

詳しい事情は知りませんが、その後、日本各地でも上映され、DVDも発売されたようです。今でも、中古DVDを入手することは可能なのかも知れません。


宁浩は、最初の作品 《星期四,星期三》 2001 で北京を舞台にします。次の 《香火》 2003 は、北京から西(左)に進んだ山西省大同の近くが舞台です。大同から、ちょっと北(上)に進めば、もう内モンゴルです。

 《モンゴリアン・ピンポン》 という映画は、東京ではイメージフォーラムというところで上映されたようで、今でも(2014年3月)上映当時のサイトが残っていて、予告編も見られます。

イメージフォーラムだって客を集めたいわけで、このサイトにおいてこの映画を、雄大な自然とか、子供たちの無邪気な好奇心とか、「草原のむこうには何があるのか?」などというスコープで語っています。

このような大人的視線というか、良い子な視線というか、そういうところからこの映画を語ってしまっていいのでしょうか。

そんな視点に反論したいのはやまやまなのですが、しかし、堂々と反論できないようにも思います。それはこの映画が、いわゆる自然礼賛、子供礼賛のスコープに収まってしまっていると言われても、しかたないように思うからです。


百度百科では、この映画のジャンルを “剧情(一般ドラマ),喜剧” と位置づけています。この映画の、いったいどこがお笑いなのでしょう。

天安門で家族写真を撮る! これがアメリカのお茶であるコーヒーというものだ! ELLEという雑誌って、なんなんだ? テレビというものを見てやろう!

このような内モンゴルのなかでも、特に田舎もんな人々の言動のあれこれが、お笑いなのです。このお笑いは、自然礼賛とか子供礼賛とかとは、まったくかけ離れたものです。

もちろん、ピンポン玉という ”国球” を北京に返してやろうという子供たちの気持ちだって、非文明的な地域に生きる子供たちの愚かさとして、思い切り笑えるネタなのです。

北朝鮮の人々にとって、動物園に行く楽しみとは何か? それは愚かな動物を見て、笑うことだ--こういうのと同様ないわゆる差別的な視線が、この映画をお笑いに仕立てあげているのです。

NHKとかイメージフォーラムは、このような差別視線でのお笑いにまったく気づいていません。あるいは、気づいていないふりをしています。乱暴な世代論で言ってしまえば、70后以前の中国人が、このような差別視線から、この映画を笑えます。


宁浩つながりで言うと、注目しておくべきは徐峥が主演した 《人在囧途》 2010 でしょう。90后の中国人の女の子とお昼ごはんを食べながら、なんで 《人在囧途》 は面白いのか? という話題になったことがありました。

《人在囧途》 とは、中国人自身が文明化されていない非文化的な中国人をお笑いのネタにしたところが、新鮮な出来事だったのでした。そんなのは魯迅が 《阿Q正传》 で描いたことだろ--と言ってしまえば、それはそうなのです。

しかし、《阿Q正传》 とは当時の(あるいは今でも)インテリだけしか笑えない物語でした。今や、多くの文明化された中国人が 《人在囧途》 を大笑いできるようになったのです。このような事態を、魯迅が歓迎するかどうかは知りません。

《绿草地》 が非文化的な文明化されていない人々を笑うとき、その対象が内モンゴルの田舎者だったのに対して、《人在囧途》 では中国の田舎者をお笑いにして、しかも大ヒットしたのは、ひとつの事件だったように思います。


宁浩は、《星期四,星期三》 と 《香火》 では、特に主義主張とかを述べはしませんでした。《绿草地》 以降の映画においても、それが宁浩映画の大きな特徴のひとつであると言っていいでしょう。

また、登場人物の多くは非文化的で文明化されていない人々というか、田舎のチンピラとか田舎で普通に生きている人とかです。これも、宁浩映画の大きな特徴のひとつです。

この 《绿草地》 だって、宁浩にしてみれば内モンゴルの田舎で普通に生きている人々を、もちろん差別視線ではなく、ただ単に面白がって描いただけなのでしょう。

一般には差別視線で笑われる事態を、むきだしの出来事として笑うこと--これって、とても勇気のいることです(そんなことを試みた一人が魯迅です)。一般には差別者と同等扱いされてしまうため、一般には良い子はこういう領域には近づきません。

特にいい例ではありませんが、最近(2014年)のはじめに放映された 《明日、ママがいない》 がそんな例のひとつでしょう。物語がやがて子供賛歌、人間賛歌の方向へ、どんどんつまらなくなっていくのは見え見えなのに、差別好きな人々はこのドラマを差別ドラマだと言って非難していました。

この 《绿草地》 がいったん公開されてしまえば、70后以前の連中は差別視線で大笑いし、しかし、映画の評価としては自然賛歌とか人間讃歌とか子供讃歌とか、そういう視点で語られることは、宁浩自身よくわかっていたはずだと思います。

人間讃歌とか子供讃歌とか、とりわけそういうのを好むのが、80后なインテリ層でしょう。彼らは、“健康”とか“環境”とか、いわゆる先進国の権力や企業が飯の種にするビジネス戦略にころっとだまされます。

じゃあ、90后はどうなんでしょ? 見ねーだろな、こんなもん。

宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

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