2014年2月22日土曜日

宁浩(ニン・ハオ)の軌跡|主役は乗り物だ


宁浩の 《无人区》 を見ました。わあー! これ、すごい。

百度百科では、宁浩を张艺谋陈凯歌冯小刚に次ぐ四番目の映画監督なのだと言っています。しかし、これは大きな間違いです。

だって、张艺谋とか陈凯歌とか冯小刚って、素晴らしい映画なんてひとつも撮ったことがないからです……と書いたけれど、ぼくは冯小刚の映画って、ひとつも見たことがないかもしれません。

ぼくには、ぼくにとって敵であると勝手に決め込んでいる相手がいます。中国映画であれば、もちろん张艺谋陈凯歌周星驰です(あと、台湾の侯孝賢)。中国語であれば、これって漢文の試験? と思うしかない中検の親玉、上野恵一です。

そんなことはどうでもいいのですが、まずは宁浩の軌跡をさらっとおさらいしておきましょう。主に百度百科情報なので、間違いもたくさんあると思います。でも、情報は、ないよりもあったほうがいいでしょう。


宁浩は1977年、山西の太原に生まれます。子供の頃から絵を描くのが好きだったそうです。これは宁浩の映画を見たり、宁浩について語ったりする場合、覚えておくべきことでしょう。

大きくなってからは、自転車関係の仕事(詳細は不明)をやったり、バンドをやったりします。山西艺术职业学院を卒業して、劇団の舞台美術や広告関係(MTV)の仕事をして、写真や映像のカメラマンとかをやっていたみたいです。


それから宁浩は、北京师范大学艺术系に入学して、監督を学びます。実のところは、北京で暮らしたかったというのが、北京师范大学艺术系に入学した理由のようです。卒業作品として

《星期四,星期三》 2001

を作ります。これは2001年北京大学生电影节の最優秀監督賞を受賞します。

その後、宁浩は北京电影学院に入って静止画の撮影を学びます。映画監督からはとても迂回しているように見えますが、絵を描くのが好きな宁浩にとっては、当然の選択だったのかもしれません。


彼が、卒業前に自費を投じて作ったのが

香火》 2003

です(監督、脚本、撮影)。《香火(香火〜インセンス)》 は、第4回東京フィルメックス最優秀作品賞、香港国际映画祭アジア部門金賞など、各国で多くの賞を獲得します。

舞台は宁浩の故郷山西であり、一貫して山西弁が語られます。これも、宁浩映画の特徴的なスタイルのひとつになります。すべてを普通話で語ってしまおうとするのが、中国の映画やドラマの一般ですが、宁浩はこれに抗います。

宁浩の映画は、けっこう日本でも上映されているようです。


NHKアジア・フィルム・フェスティバル(NHKがアジア各国と映画を共同制作するプロジェクト)で上映されたのが

绿草地(モンゴリアン・ピンポン)》 2005

です。

上映されただけで、共同制作されたわけではありませんが、日本各地でも上映され、DVDも発売されたようです。

内モンゴルの子供が主役で、もちろんすべてがモンゴル語で語られます。この 《绿草地》 も、いろいろな映画祭で賞を獲得します。


刘德华(アンディ・ラウ)がプロデューサーとして参画した〝アジアの新人監督映画” という企画により、6本の映画が作られます。その中の一本として、宁浩は初めてすごくお金をかけた映画を撮ります。とはいえ、一般的に言えば低予算映画です。それが

疯狂的石头》 2006

です。この映画は、大陸、香港、台湾で大ヒットします。とっても笑える映画だったからです。この映画には、黄渤と徐峥が出演しています。

宁浩、徐峥黄渤のゴールデントリオは、三人いっしょだったり、ふたりいっしょだったり、一人だけだったりしながら、中国映画に活力を与えます。特に、徐峥は 《人在囧途》 2010、《人再囧途之泰囧》(これには黄渤も出ています)という低予算映画で大ヒットを飛ばします。


《疯狂的石头(クレイジー・ストーン)》 が大ヒットした後、宁浩は韓国のネットゲームと連動した短編を作ります。

奇迹世界》 2007

《星期四,星期三》 2001 を、思い出してみましょう。

宁浩は、エンニオ・モリコーネ(ふう)の音楽を使って、マカロニウェスタンに敬意を表していました。

《奇迹世界》 で明らかになるのは、宁浩がクリント・イーストウッドのファンであるということです。宁浩を、中国のクエンティン・タランティーノと呼ぶのは、とても簡単なことです。でもぼくは、“宁浩は中国のクリント・イーストウッドでもある” と言っておきたいと思います。


宁浩は、自転車と自動車が好きです。《星期四,星期三》 でも、 《香火》 でも、自転車は主役のひとりでした。商業娯楽映画の第二弾として、宁浩が撮ったのが

疯狂的赛车》 2009

です。徐峥もちょこっと出ていますが、主役は黄渤です。黄渤は、《疯狂的石头》 とこの映画で“永遠のチンピラ”というイメージを定着させます。

周星驰は去年(2013年)のお正月、《西游・降魔篇》 の公開前に「これで黄渤は、中国ナンバーワンのお笑いスターになったとか、とんでもなく勘違いなことを言っていましたが、おかげで黄渤がさらに有名になったことは、それはそれでいいことかもしれません。


《疯狂的赛车》 は興業的にも成功します。こうなれば、宁浩は監督としてやりたいことをやれます。2009年3月、徐峥が主役の 《无人区》 をクランクインします。黄渤も出ています。

この映画は、日本語で言うと西部劇です。クリント・イーストウッド+サム・ペキンパーみたいな感じです。あるいは、《激突!》 と 《続・激突! カージャック》 のスティーヴン・スピルバーグを加えてもいいでしょう。

《无人区》 は、2010年のお正月映画として公開される予定でした。しかし、《无人区》 は中国映倫(と言っていいかどうかわからないけど)の審査を通らず、いったんはお蔵入りしてしまいます。メッセージ性のない暴力が、問題になったのかもしれません。

2013年、10月14日、黄渤が新浪で “《无人区》 要来啦!(「無人区」がもうすぐやって来るぞ!)” と発言します。同日午後、中国映倫の微博は、《无人区》 の審査が通過したことを発表します。こうして、2013年12月3日、ついに

无人区》 2013

が公開されます。

去年(2013年)の暮れには、香港のスターの映画が相次いで公開されました。甄子丹の 《特殊身份》 2013、古天乐の 《扫毒》 2013 、刘德华の《风暴》 2013 です。どれも、香港映画の腐りようを露呈していました。

具体的な興行成績は別にして、《无人区》 のネットでの話題度は、香港の腐ったスター映画を大きく引き離して独走していました。


《无人区》 が公開されないまま、宁浩は次の映画を作ります。

黄金大劫案》 2012

です。1930年代、日本がずぶずぶと、無謀な戦争を本格化する中国が舞台です。

冒頭、街をぶらつくチンピラが、少女をだましてアクセサリをだまし取ります。顔はまだ見えません。おーおー。このチンピラは必ずや黄渤だろと、誰もが思うわけです。しかし、この映画のチンピラは黄渤
ではありません。

なんでかというと、このチンピラは、ついには革命運動に貢献してしまうからです。永遠のチンピラであるべき黄渤に、この役は似合いません。また、これまでの宁浩の映画では描かれなかった、もうひとつの要素が恋愛です。


今(2014年2月)、宁浩が何をしているかというと、

玩命邂逅》 2014

を作っている最中です。2013年10月クランクイン、2014年1月にクランクアップしたとのことです。

主演は、黄渤と徐峥です。再び、ゴールデントリオが揃ったわけです。黄渤の役名は耿浩で、これは 《疯狂的赛车》 の主役(黄渤)と同じ役名になっています。

なお、《玩命邂逅》 は

心花路放 2014

というタイトルで、2014年9月30日に公開され、最もヒットしたこの年の国産映画になりました。


あと、宁浩は、映画に客串(ゲスト出演)するのもけっこう好きです。

疯狂的石头 2006 (医者)
疯狂的赛车 2009 (タクシーの運転手)
刀见笑 2009 (鸡客)
桃姐 2012 (映画監督)

他にも出ている映画があるかもしれませんが、特に、《刀见笑》 では強烈な演技をやってました。

中国电影导演宁浩:鬼才导演解读成长历程


宁浩の軌跡 -- 主役は乗り物だ
星期四,星期三 2001
香火 2003
绿草地 2004
疯狂的石头 2006
奇迹世界 2007
疯狂的赛车 2009
无人区 2013
黄金大劫案 2012

0 件のコメント:

コメントを投稿