▼
危情少女 1994
に続く娄烨の “おさげ少女シリーズ” 第三弾が
紫蝴蝶 2003
です。《苏州河》 は大陸では上映できなかったわけですが(たぶん)、世界のあちこちで注目されます。この 《紫蝴蝶》 では、章子怡を主役にもってきて、堂々と大陸でも公開されます。
ただし(たぶん)、中国での興行成績はさんざんだったことでしょう。章子怡が出ているだけで映画がヒットするなんてことはありません。そのうえ、この映画は単純な抗日映画でもありません。
■
周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
花(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
■
ぼくはこの 《紫蝴蝶》 は、けっこう好きです。それはもちろん、章子怡の三つ編みおさげが見られるからではありません。この映画で一番好きなシーンは、刘烨と李冰冰のダンスです。
伊玲(イー・リン[李冰冰])が選んだ蓄音機にかけるレコードは、姚莉の 《得不到的愛情》 です。ちょっと、《得不到的愛情》 を聴いてみましょうか。
得不到的愛情 - 姚莉
ついでに、姚莉の代表曲のひとつである 《玫瑰玫瑰我爱你》 も聴いてみますか。これは、梅艳芳版の 《玫瑰玫瑰我爱你》 です。
玫瑰玫瑰我愛你 - 梅艷芳
1931年、いわゆる満州事変が始まった年の上海、司徒(スー・トゥー[刘烨])は、過激派の事件に巻き込まれ、さらには伊玲はこの騒動のなかで殺されてしまいます。
こうして日本軍のスパイ(伊丹=仲村トオル)と過激派(谢明[シエ・ミン]=冯远征、丁慧[ディン・ホエイ]=章子怡)の暗闘に、戦争とか革命とかとはなんの関係もない司徒が絡んでしまうことになります。
■
李冰冰 |
それから地元に帰ると、鮨屋の大将から “お前ら、映画なんか見てる場合じゃないぞ!” と言われて、はじめて何が起きたのかを知りました。
いわゆる “9.11アメリカ同時多発テロ” とは、なんだったのでしょうか。
ごく単純に言えば、2001年の9.11とは “テロの時代” が始まった象徴と言っていいでしょう。《紫蝴蝶》 の “紫蝴蝶” という組織も、革命集団というよりも、ただのテロリスト集団として描かれます。
娄烨が9.11に触発されてこの映画を撮ったのか、9.11以前からこの映画の企画が進行していたのか、ぼくには不明です。とはいえ9.11があったからこそ、この映画が成り立ったわけです。
娄烨は、映画において、特に政治的な主張を語るわけではありません。《紫蝴蝶》 の次の映画が 《颐和园》 になるわけですが、もちろん政治的な映画ではありません。
■
ぼくは、娄烨の最初の映画 《周末情人》 から 《颐和园》 までを “おさげ少女シリーズ” と呼んでいます。そして
危情少女 1994
苏州河 2000
紫蝴蝶 2003
を “娄烨の様式美三部作” と呼びたいと思います。《危情少女》 と 《苏州河》 は短いカットの積み重ねでしたが、《紫蝴蝶》 では特徴的な長いカットが導入されます。
伊玲が駅のホームで司徒を探していると、向かいのホームにいる谢明と丁慧が長丁場で映し出されるシーンがいい例でしょう。映画のラストでも、伊玲はそれとは知らず谢明と丁慧とすれ違い、それが長丁場なショットになっていきます。
なんで特に “様式美三部作” などと言う必要があるのかというと、《紫蝴蝶》 以降、娄烨は、これまでにつちかった、いかにも作りこんだカットをすべて放棄するからです。
《紫蝴蝶》 の次に娄烨は 《颐和园》 2006 を作ります。《颐和园》 から 《推拿》 2014 に至るまでの娄烨の軌跡は、スリリングこのうえありません。どんなカットが再構築されていくのか、楽しんでいきましょう。
紫蝴蝶 Purple Butterfly - Clip 1
Beautiful Dance Scene - Purple Butterfly(2003)
PURPLE BUTTERFLY - Extrait (VOST)
0 件のコメント:
コメントを投稿