2015年2月4日水曜日

颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨(ロウ・イエ)は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである



暗めの学園青春映画と言われて、すぐ思いつく最近の映画に、赵薇(ヴィッキー・チャオ)の

致青春(So Young 過ぎ去りし青春に捧ぐ) 2013

があります。東京国際映画祭だかなんだかで、この映画が上映されたとき、ツイッターで東京国際映画祭だかなんだかの関係者らしい人の発言を目にしたことがあります。

正確な内容は覚えていませんが、いわく “目の前で見る赵薇って、きれい” とか “この映画で目に止まったのは张国荣(レスリー・チャン)のポスター” とか、そんな内容だったと思います。

この人たちの発言は、とても正直だと思いました。なんでこんなつまらないことしか言えないのかというと、《致青春》 があまりにつまらない映画だったからです。

《致青春》 と

颐和园(天安門、恋人たち) 2006

は、同じような映画と言えば、そうも言えるでしょう。大学で出会った若者たちの青春、そして、大学を離れてからの人生が語られるからです。

しかし、《致青春》 と 《颐和园》 は なんとかけ離れていることでしょう。そもそも 娄烨の 《危情少女(危情少女 嵐嵐)》 の英語タイトルは “Don't Be Young” であって、娄烨ははじめからそう宣言していたわけです。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


周末情人(デッド・エンド 最後の恋人)》 からはじまった娄烨の “おさげ少女シリーズ” は、この 《颐和园》 で終わります。

終わるというよりも、《周末情人》 に回帰したと言ったほうがいいかもしれません。

危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994
苏州河(ふたりの人魚) 2000
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003

は娯楽映画であって、この3つの作品をぼくは “娄烨の様式美三部作” と呼ぶことにしています。《紫蝴蝶》 が興業的に失敗した結果なのかどうかそれはわかりませんが、娄烨はこの映画では、これまでのカットの美学を放棄します。

もちろん、この映画に素敵なカットがないと言いたいわけではありません。映画の文法にいちゃもんをつけたのがヌーヴェルバーグだとはいえ、ゴダールの映画はなんて映画の文法に忠実なことでしょう。

ゴダールはついついインテリとして映画を語ってしまうわけですが、この映画の娄烨は “インテリ以前” の映画を撮ろうとしたように思います。

ぼくたちが生きている日常というか、ぼくたちの日常的な行動とか、いつも目にしている風景は 《戦艦ポチョムキン(战舰波将金号)》 ではなく、ただのありふれた、だらだらとした日常です。

娄烨は、そうしたありふれた日常を、ハンディカム作戦で、ありのままにだらだら描こうとしたのでしょう。その結果、ぼくたちはこの映画で、いくつもの見とれてしまうシーンに出会うことになります。


今さら(2015年2月)この映画における、天安門事件とかセックスシーンとかを語っても意味はないでしょう。天安門事件は実際の出来事だし、人間は誰だって(ではないかもしれませんが)セックスだってします。

それにしても娄烨は、男と女が肩を並べて顔を寄せ合うカットが好きです。これは娄烨お得意のカットというより、娄烨の専売特許と言ったほうがいいでしょう。《苏州河》 での、马达と牡丹の再会後のシーンも思い出してください。

肩を並べて顔を寄せ合う男と女は、決して顔を向き合わせはしません。このカットの意味は、単純に考えていいでしょう。顔を寄せ合う男と女の視線の向こうに見えるものは、決して同じものではないということです。


娄烨が 《周末情人》 1993 とか 《危情少女》 1994 を作っていた、そのちょっと後、たとえばジル・ドゥルーズが飛び降りて自殺します。こんな情報を、娄烨が知っていたかどうかはわかりません。

飛び降り自殺と言えば、2003年4月1日の张国荣の投身自殺なわけですが、この映画で娄烨が张国荣をイメージしていたかどうかはわかりません。そもそも 《苏州河》 2000 で、周迅は橋から飛び降りたのでした。

ただし、この映画のシナリオは、2001年 韩国釜山青年映画監督脚本賞を獲得しています。シナリオができたときには、まだ张国荣は生きていたわけです。ただし、そのシナリオに李缇の飛び降りが書かれていたかどうかはわかりません。

このとき、《苏州河》 の贾宏声は、まだ飛び降りていません。飛び降りるのは、2010年10月です。

というわけで、この映画でもっともすてきなシーンは、李缇が飛び降りるところです。劇映画とか記録映画とかニュースとかそういうのではなく、ただのホームビデオというか仲間内のパーティ動画にたまたま映ってしまったかのように、李缇は飛び降ります。

人は、死にたいときもあるでしょう。ときには、死んでしまう人もいるでしょう。


それにしても、なんで娄烨はこの映画を广电总局(国家广播电影电视总局)の審査に持ち込んだのでしょうか。当時でも今(2015年)でも、この映画が广电总局が審査に通るわけはありません。

それは、娄烨と耐安の(というか耐安の)ひとつの作戦だったように思います。世界のどこで上映されるのかわからないこの映画を、世界のどこかで見た誰かが、単に面白くない映画と評価することは簡単なことです。

しかし、“天安門事件と大胆なセックスを描いた中国で上映禁止になった映画” というキャッチフレーズは、この映画の箔押しになります。評論家とか新聞とか、一般人もそう簡単に “つまらない” とは言えなくなります。

ただし、あれこれの結果、5年間の活動禁止まで命じられるとは思っていなかったことでしょう。とはいえ、中国映画の問題児娄烨は、世界映画の娄烨として活動を続けていきます。

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