2015年2月4日水曜日

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後



娄烨(ロウ・イエ)の映画を公開順に並べると、《危情少女》 1994 が一番上に来ますが、実質的な処女作は

周末情人 1993|1995

です。この 《周末情人》  は、公開年に合わせて1995年(または1994年)の映画とされることもありますが、実際には1990年から1993年の間にかけて作られたようです。

日本では 《デッド・エンド 最後の恋人》 というタイトルで公開されたか、DVDが発売されたことがあるようです。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


贾宏声
《周末情人》 の主演のひとりは、《苏州河》 の贾宏声です。だからというわけでもないのですが、この映画は 《苏州河》 の原型と言っていいでしょう。

この映画でも贾宏声は刑務所に入り、出所した彼は街に戻ってきて、行方がわからなくなってしまった女を探します。

《苏州河》 は二人の男(カメラマンと马达=贾宏声)と一人あるいは二人の女(牡丹と美美=周迅)をめぐる物語でしたが、《周末情人》 は二人の男(阿西=贾宏声、拉拉=王志文)と一人の女(李欣=马晓晴)の物語です。

《苏州河》 においては马达と美美の関係はとても微妙だったわけですが、《周末情人》 では一般的な三角関係の悲劇が描かれます。


とはいえ、娄烨の永遠のテーマが “愛って、なんてやっかいなんだ” ということであれば、三人それぞれの複雑な感情が描かれます。

马晓晴
とりわけ、二人の男の間に立たされた李欣の揺れ動く心情はリアルです。拉拉はバンドに入ってボーカルをやることになるのですが、バンドのリーダーの奥さん晨晨と李欣のやりとりも見どころでしょう。

晨晨を演じているのが耐安(ナイ・アン)です。娄烨の映画と言えば、いつだって耐安がプロデューサーなわけです。ぼくは、しばらく耐安が男だと思い込んでいました。《苏州河》 では、耐安は萧红でした。


さて、《周末情人》 と 《苏州河》 の贾宏声は、今はどうしているのでしょうか。もう、死んでしまいました。2010年7月5日、飛び降り自殺をしたそうです。

贾宏声は1967年生まれで、1985年に中央戏剧学院に入ります。中央戏剧学院の卒業生には、姜文巩俐章子怡などがいます。贾宏声は、80年代から90年代にはちょっとしたアイドルとして、映画やお芝居で活躍します。

《周末情人》 1993 の贾宏声は、 《苏州河》 2000 ですんなりと再び娄烨の映画に帰ってきたわけではありません。贾宏声は90年代半ば麻薬に手をだし、幻覚や幻聴に見舞われます。

結局、精神病院に入院して治療に専念し、退院後の復帰作が 《苏州河》(撮影は、たぶん1998年) です(そうじゃないかもしれません)。


2000年撮影、2001年公開の 《昨天》 という映画があります。主演は贾宏声なのですが、彼のそれまでの人生を、そのまま映画にしたものだそうです。

《昨天》 以降、しばらくブランクがあって、2007年からお芝居で復帰したそうですが、ついには2010年7月5日に自殺します。

2000年から2007年の間に何があったのか、あるいは2007年から2010年の間に何があったのか、それはわかりません。

贾宏声の両親は、“決して薬の結果の自殺ではない” と表明したそうです。


金馬50現場:婁燁 大師講堂

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