2015年2月4日水曜日

花(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる



ぼくは娄烨(ロウ・イエ)の 《危情少女(危情少女 嵐嵐)》 1994 から 《颐和园(天安門、恋人たち)》  2006 までを “娄烨のおさげ少女シリーズ” と呼んでいます。

(パリ、ただよう花) 2011

は、《颐和园》 2006 と 《春风沉醉的夜晚》 2009 とあわせて “娄烨のセックス三部作” とでも呼べばいいのでしょうか。そう呼ぶことに、なんの意味もありませんが……。

中国の映画監督が海外を舞台に映画を撮るといえば、すぐに思いつくのが王家卫(ウォン・カーウァイ)の 《蓝莓之夜(マイ・ブルーベリー・ナイツ)》 2007 でしょう。なんだか気の抜けた映像がだらだら続く映画でした。

王家卫はゲイの青春映画 《春光乍泄》 1997 の後、《花样年华》 とか 《2046》 とかを撮ってから、アメリカを舞台にした 《蓝莓之夜》 を作ります。ネタが尽きてしまった結果のひとつの模索だったのでしょう。

娄烨はゲイの青春映画 《春风沉醉的夜晚》 の後、いきなりパリを舞台にした 《花(パリ、ただよう花)》 を作ります。もちろん、娄烨は王家卫の後追いをしているわけではなく、5年間の映画製作禁止という状況の只中でのひとつの模索です。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


花を演じる主演のコリーヌ・ヤンは、丸顔・切れ長の眼・細い眉と、いかにもヨーロッパ人好きする容貌です。だから人気モデルとして活躍できるのでしょう。

娄烨は女優だろうが男優だろうが、役者をかなり過酷に扱います。《苏州河》 の周迅は、いったいどれだけの表情を演じたことでしょう。しかし、この映画のコリーヌ・ヤンは、いつも同じ表情をしています。

娄烨は、たとえ劣悪な制作環境での映画作りではあっても、中国で撮影された 《春风沉醉的夜晚》 は、とても映画な映画に仕立てあげました。娄烨は、この 《花》 だって、ありったけの力を使いながら作ったことでしょう。

でも、コリーヌ・ヤンというモデルを前にして、娄烨は何かをあきらめてしまったかのようにも思えます。この映画ではときたま風景シーンが挿入されます。それは一見、この息苦しい映画に一陣のさわやかな風を与えているかのようにも見えます。


娄烨は、橋とか鉄橋とかを俯瞰で撮るのが大好きです。もちろん 《苏州河》 を思い出したっていいのですが、まずは 《危情小女》 を思い出すべきでしょう。この映画の風景シーンでも多用されるのが、橋とか鉄橋とかの俯瞰です。

娄烨は自分が編み出したカットを、自らに封印するのも好きです。ただし、ここぞというときには、そんなカットを復活させるのも好きです。

娄烨は、橋とか鉄橋とかの俯瞰は 《颐和园》 以後は、自らに禁じていたように思いますが、それがこの映画では復活します。それは “ここぞ” の復活ではなく、言い訳じみた復活のように見えます。


娄烨は、コリーヌ・ヤンに対して何をあきらめたのでしょうか。もちろん、役者としてのコリーヌ・ヤンを過酷に扱うことをあきらめたのでしょう。裸になるとか、セックスシーンを演じるとかは、役者を過酷に扱うこととは何の関係もありません。

娄烨映画にとっての重要な要素をあきらめた彼は、だからこそ、すでに使い古した感のある風景のカットをところどころ散りばめたのではないでしょうか。

人形を人形として描くことで、逆に見えてくるもの、表現できるものもあるのではないか? 娄烨はそんな試みにチャレンジしているようにも見えます。何が見えてきたのでしょうか?

ぼくは、この映画に感想はありません。


娄烨にとっての収穫は、はじめて小説を映画化したということでしょう。原作は、パリに住んでいる刘捷という人の自伝的ネット小説だそうです。ここからしばらくして 《推拿》 2014 で、再び小説の映画化に挑むことになります。

それにしても娄烨は、なんでこんなに雨のシーンが好きなのでしょう。生きていくというのは、どしゃぶりの雨の中を歩いていく、走っていくようなものだからでしょうか。あるいは、できごとというのは、いつも雨の中で起こるものなのでしょうか。

Love and Bruises (2011) Trailer


LOVE AND BRUISES

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