2012年1月23日月曜日

《鹿鼎记》1992


これは周星驰チャウ・シンチー)が韦小宝を演じる映画《鹿鼎记》1992 です。

《鹿鼎记》1992(百度百科 日本語ウィキペディア

周星驰と梁朝伟トニー・レオン)は同い年で、中学(高校)時代からの知り合いだったというのは、とても有名な話のようです。周星驰は梁朝伟を誘って、“无线电视艺员11期训练班”の試験を受けます(このとき、梁朝伟は役者になることにたいして興味を持っていなかったそうです)。結果は、梁朝伟は合格、周星驰は不合格になります。

しかし、周星驰もなんとか“训练班的夜间部”にもぐり込み、二人とも1年の訓練の後、デビューします。

周星驰は子供向け番組の司会者として活躍し、やがて映画にも出るようになり、ついにはテレビドラマ《霹靂先鋒》1988 で人気を獲得したとのことです。

梁朝伟が1984年のテレビドラマ《鹿鼎记》で韦小宝を演じてから8年後、ついに周星驰も小宝を演じることになります。

この《鹿鼎记》1992 には一般的な課題と特殊な課題という2つの課題があったように思います。

一般的な課題とは、長大なドラマをどうやって90分とか120分の中にまとめるのかという困難です。この課題を克服するために、鳌拜オーバイ)退治にストーリーをしぼっています。

特殊な課題とは、もともとお笑いなドラマを、いかにしてさらなるお笑いに仕立てるかという問題です。で、とりあえず原作がどうのこうのとかは別にして、梁朝伟版《鹿鼎记》1984 を土台にしたお笑いパロディを作ろうというのが、この映画の作戦だったように思います。

お笑いスターとしての周星驰は、その表情とかしぐさとか、《鹿鼎记》1984 の梁朝伟のお笑いを、ずっとお手本にしていたように感じます。この映画でも、この小宝はいったい梁朝伟なのか周星驰なのか、迷ってしまうくらいです。

ストーリーの大筋は梁朝伟版《鹿鼎记》1984 に従っているものの、細部は勝手きままに脚色していきます。

たとえば、双儿。この映画では、天地会の舵主--陈近南が双儿を小宝に与えます。双儿のいきさつを、梁朝伟版《鹿鼎记》1984 にもとずいてあれこれ語ってしまうと、面倒なわけで、勝手きままにこういう脚色をします。

梁朝伟版《鹿鼎记》1984 においても双儿は、けっこう健気に語られるわけですが、この映画の双儿とは大双儿と小双儿の双子というお笑いになっています。

ということになってしまうと、小宝が獲得する7人の老婆の人数に不都合が出てしまうように思いますが、そういう問題も特に気にする必要はないでしょう。

小宝がふたりの双儿といちゃついているときに、いきなり康熙の妹--建宁公主邱淑贞)がやってくるところは、この映画の名シーンのひとつだと思います。

当時、香港では古装片ブームだったそうです。《ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ》が1991年に公開されていますが、この《鹿鼎记》1992 のオープニングは、《ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ》を思わせてくれます。

古装片におけるアクション監督の大御所が程小东で、《鹿鼎记》1992 でもアクション監督を担当しています。そんなわけで、この映画では派手なアクションも売りになっています。

この映画の最後で“重阳”というキーワードが出てきます。このギャグを見て、どれだけの香港人が笑えたのかどうかはわかりません。しかし、金庸ドラマにおける王重阳王重陽)とは、本人は登場しないものの、金庸ドラマの背景を支える大きなテーマです。

映画で、とんでもないおバカをしでかしたものの、金庸にはそれなりに敬意を払っているのだという言い訳が、“重阳”というキーワードだったのかもしれません。

ところで、太监tàijiàn(宦官huànguān)が、なぜ死ぬまでペニスを保持しなければばらないかというと、ペニス抜きの身体ではあの世で困ってしまうからです。このため、お葬式のときには、ペニスを身体に縫い付けます。ペニスをなくしてしまったり、盗まれてしまうケースもあるわけで、宦官のペニスは売買の対象になっていたそうです。

插曲 《開心做齣戲》


鹿鼎记 1 (1992) Cantonese Full Movie

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