2015年2月4日水曜日

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後



娄烨(ロウ・イエ)の映画を公開順に並べると、《危情少女》 1994 が一番上に来ますが、実質的な処女作は

周末情人 1993|1995

です。この 《周末情人》  は、公開年に合わせて1995年(または1994年)の映画とされることもありますが、実際には1990年から1993年の間にかけて作られたようです。

日本では 《デッド・エンド 最後の恋人》 というタイトルで公開されたか、DVDが発売されたことがあるようです。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


贾宏声
《周末情人》 の主演のひとりは、《苏州河》 の贾宏声です。だからというわけでもないのですが、この映画は 《苏州河》 の原型と言っていいでしょう。

この映画でも贾宏声は刑務所に入り、出所した彼は街に戻ってきて、行方がわからなくなってしまった女を探します。

《苏州河》 は二人の男(カメラマンと马达=贾宏声)と一人あるいは二人の女(牡丹と美美=周迅)をめぐる物語でしたが、《周末情人》 は二人の男(阿西=贾宏声、拉拉=王志文)と一人の女(李欣=马晓晴)の物語です。

《苏州河》 においては马达と美美の関係はとても微妙だったわけですが、《周末情人》 では一般的な三角関係の悲劇が描かれます。


とはいえ、娄烨の永遠のテーマが “愛って、なんてやっかいなんだ” ということであれば、三人それぞれの複雑な感情が描かれます。

马晓晴
とりわけ、二人の男の間に立たされた李欣の揺れ動く心情はリアルです。拉拉はバンドに入ってボーカルをやることになるのですが、バンドのリーダーの奥さん晨晨と李欣のやりとりも見どころでしょう。

晨晨を演じているのが耐安(ナイ・アン)です。娄烨の映画と言えば、いつだって耐安がプロデューサーなわけです。ぼくは、しばらく耐安が男だと思い込んでいました。《苏州河》 では、耐安は萧红でした。


さて、《周末情人》 と 《苏州河》 の贾宏声は、今はどうしているのでしょうか。もう、死んでしまいました。2010年7月5日、飛び降り自殺をしたそうです。

贾宏声は1967年生まれで、1985年に中央戏剧学院に入ります。中央戏剧学院の卒業生には、姜文巩俐章子怡などがいます。贾宏声は、80年代から90年代にはちょっとしたアイドルとして、映画やお芝居で活躍します。

《周末情人》 1993 の贾宏声は、 《苏州河》 2000 ですんなりと再び娄烨の映画に帰ってきたわけではありません。贾宏声は90年代半ば麻薬に手をだし、幻覚や幻聴に見舞われます。

結局、精神病院に入院して治療に専念し、退院後の復帰作が 《苏州河》(撮影は、たぶん1998年) です(そうじゃないかもしれません)。


2000年撮影、2001年公開の 《昨天》 という映画があります。主演は贾宏声なのですが、彼のそれまでの人生を、そのまま映画にしたものだそうです。

《昨天》 以降、しばらくブランクがあって、2007年からお芝居で復帰したそうですが、ついには2010年7月5日に自殺します。

2000年から2007年の間に何があったのか、あるいは2007年から2010年の間に何があったのか、それはわかりません。

贾宏声の両親は、“決して薬の結果の自殺ではない” と表明したそうです。


金馬50現場:婁燁 大師講堂

危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨(ロウ・イエ)の “おさげ少女シリーズ” スタート!



道端に何かが入っている透明なビンが転がっていて、けばい化粧の女がこのビンを見つけます。彼女がビンを空に放り上げて、落下したビンが割れると何やら小さな機械のようなもの(オルゴール)が入っています。

危情少女 1994(1995)

における、この冒頭のシーンは何度見てもいいなあと思います。娄烨の基本的なカット作りが、この映画(テレビでの放映)で確立したと言っていいように思います。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
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推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
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推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


《危情少女》 は娄烨の映画のなかで、もっとも娄烨っぽくないテーマなわけです。ホラーと言えばホラーなのですが、単純にいえば男と女がいて、男が女を救出する物語です。娄烨がついつい描きたがる複雑な愛の行方は、ここにはありません。テレビ用の作品なので、それはそれでそうなのでしょう。

それが良かったのでしょう。娄烨は自分自身のカット作りを思う存分楽しみながら、この映画を作ったように思います。緊張感あふれるカットの連続は、それだけで映画を見る快楽です。

ホラーものというか恐怖ものということもあって、後の 《紫蝴蝶(パープル・バタフライ)》 を思わせるカットがけっこうあります。たとえば、駅のホームとホームをつなぐ架橋を俯瞰ぎみにとらえ、そこを人が走るカットなどを見ると、《紫蝴蝶》 をまた見たくなってしまいます。


危情少女を演じているのは、1971年生まれの瞿颖という人で、モデル、タレント、女優、歌手などとして、そこそこ有名な人のようです。

1991年、アメリカにおけるモデル大会のための中国10大モデル大会では準優勝だったそうです。これがきっかけでタレントや女優として活躍するようになり、《危情少女》 1994 を撮ったころにはけっこう名前を売っていたのでしょう。

1996年には张艺谋の喜劇 《有话好好说(キープクール)》 で姜文の相手役をつとめています。ロリコンの张艺谋にしては、ずいぶんきつめな女性に目をつけたものです。

最近ではお芝居  《分手大师》 に出演していたようです。このお芝居は、昨年(2014年)邓超と杨幂の主演で映画化されています(《分手大师(失恋の達人~上手に愛を手放す方法)》 2014)。

なんで特に興味もないのに瞿颖のことを書いているのかというと、もう一度冒頭のシーンの瞿颖を思い
出してください。

瞿颖の髪は、束のでっかい三つ編のおさげです。ぼくたちは後の娄烨映画で瞿颖をもう一度見かけることになります。さあ、どの映画でしょう?


苏州河(ふたりの人魚)》 2000 の牡丹(周迅)はどうだったでしょうか? やっぱりおさげでした。次の 《紫蝴蝶》 2003の章子怡だって、やっぱりおさげです。特に問題はないと思うのですが、ある意味では問題の 《颐和园》 2006 の郝蕾もおさげでしょ。

ぼくは 《危情少女》 から 《颐和园》 までを、娄烨の “おさげ少女シリーズ” と呼びたいと思います。通俗的に言ってしまえば、おさげ少女が大人になっていく物語です。

だから、 《危情少女》 の英語タイトルは “DON’T BE YOUNG” です。

《周末情人》 の李欣(马晓晴)の発展型が 《苏州河》 の牡丹と美美だと思うのですが、《周末情人》 の李欣はおかっぱです。

だから、娄烨はおかっぱも嫌いではありません。《苏州河》 の萧红(耐安)を思い出してもいいし、 《紫蝴蝶》 李冰冰を思い出してもいいでしょう。

そんなわけで、娄烨の映画を見るにあたっては、女性の髪型に注目しておくのもひとつの手立てだと思います。


この映画にも、耐安はいます。そう言ってしまえば、この映画に登場する危情少女以外の女性とは、危情少女の彼氏(歯科医)のもとで働いている看護婦の林さん(林护士)しかいません。そう、林护士が耐安です。

《危情少女》 を撮った娄烨は、次にいよいよ 《苏州河》 を撮ります。《苏州河》 では、耐安の活躍も楽しみたいと思います。

20101221 "给力笑星"曹云金 瞿颖


141029 星厨驾到之三强争霸赛 胡兵瞿颖获超高评价

苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである



周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994

を撮った娄烨(ロウ・イエ)が、世界的に注目されることになったのが

苏州河(ふたりの人魚) 2000

でしょう。ぼくは 《苏州河》 がとても好きです。このブログを書き始めたのも、実のところ 《苏州河》 について、なにごとかを書きたかったからでした。

なのですが、ずっと何を書いていいのかわからず、ずっと放ったらかしにしていました。こうして、いざ何か書こうとしても、何を書いていいのかわかりません。

だから、ぼくはこの映画がとっても好きです -- とだけ書いておけば、それでいいように思います。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


《周末情人》 で刑務所から帰ってくる贾宏声(ジア・ホンシャン)が、なぜ、この映画でも再び刑務所から帰ってくるのか? そんなこんなについては

周末情人 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後

を見てください。贾宏声の顔が見たくなったら、ぼくたちはこの 《苏州河》 を見ればいいわけです。

あるいは、《周末情人》 の李欣(リィ・シン)はふたりの男にはさまれるわけですが、李欣がふたりの女に分裂した(牡丹[ムウダン]と美美[めいめい])のがこの映画であるとか、そんなことを書いても特に意味はないように思います。


ならば、耐安について語ってみるのはどうでしょうか。この映画から、耐安は娄烨映画のプロデューサーとして本格的に登場します。

耐安は、《周末情人》 では拉拉が参加することになるバンドのリーダーの奥さんであり、《危情少女》 1994 では危情少女のパパに操られる看護婦さんでした。

この映画での耐安が誰かというと、马达の元彼女である萧红です。萧红が登場する際、娄烨は “萧红が马达の元彼女だったかもしれない” あるいは “元彼女だったら面白いかも” みたいなことを語らせます。

当時、耐安は娄烨の最もよき理解者だったはずです。で、実際に娄烨と耐安がかつての恋人同士であったとすれば、それはそれで面白い想像のように思います。では、娄烨の奥さんって誰でしょう。そのうち、語るべきときもあるように思います。


アップリンクが発売している(していた?)この映画のDVDのおまけ映像で、“この映画でどんなカットにもっとも力を入れましたか?” みたいな質問をされた娄烨が、“すべてのカットが渾身のカットだ”みたいに答えるところがあります。ぼくたちは、そんな言葉を真に受けて、この映画を何度でも見たいと思います。

いまさら、ぼくたちが周迅に注目する理由はないでしょう。周迅はどんどん大女優となり、やっとこさ去年(2014年)結婚しました。大女優ではあるわけですが、この 《苏州河》 以外には、特にこれといった映画の代表作はありません。

それはそうなのですが、テレビドラマ

射雕英雄传 2003

は、日本の武侠ファンにもおなじみでしょう。このドラマの周迅=黄蓉は、金庸本人も認めているように、唯一、頭の良い黄蓉を演じました。

苏州河 / Suzhou River -- Intro


Suzhou River 蘇州河


SUZHOU RIVER - Balcony scene

紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代




苏州河 2000

に続く娄烨の “おさげ少女シリーズ” 第三弾が

紫蝴蝶 2003

です。《苏州河》 は大陸では上映できなかったわけですが(たぶん)、世界のあちこちで注目されます。この 《紫蝴蝶》 では、章子怡を主役にもってきて、堂々と大陸でも公開されます。

ただし(たぶん)、中国での興行成績はさんざんだったことでしょう。章子怡が出ているだけで映画がヒットするなんてことはありません。そのうえ、この映画は単純な抗日映画でもありません。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


ぼくはこの 《紫蝴蝶》 は、けっこう好きです。それはもちろん、章子怡の三つ編みおさげが見られるからではありません。この映画で一番好きなシーンは、刘烨李冰冰のダンスです。

伊玲(イー・リン[李冰冰])が選んだ蓄音機にかけるレコードは、姚莉の 《得不到的愛情》 です。ちょっと、《得不到的愛情》 を聴いてみましょうか。

得不到的愛情 - 姚莉


ついでに、姚莉の代表曲のひとつである 《玫瑰玫瑰我爱你》 も聴いてみますか。これは、梅艳芳版の 《玫瑰玫瑰我爱你》 です。

玫瑰玫瑰我愛你 - 梅艷芳


1931年、いわゆる満州事変が始まった年の上海、司徒(スー・トゥー[刘烨])は、過激派の事件に巻き込まれ、さらには伊玲はこの騒動のなかで殺されてしまいます。

こうして日本軍のスパイ(伊丹=仲村トオル)と過激派(谢明[シエ・ミン]=冯远征、丁慧[ディン・ホエイ]=章子怡)の暗闘に、戦争とか革命とかとはなんの関係もない司徒が絡んでしまうことになります。


李冰冰
娄烨は、どうしてこんな映画を作ったのでしょう? すぐに思いつくのは2001年の9.11(セプテンバーズイレブン)です。あの日、池袋の文芸座で王家卫(ウォン・カーウァイ)の 《花样年华》 を見ました。

それから地元に帰ると、鮨屋の大将から “お前ら、映画なんか見てる場合じゃないぞ!” と言われて、はじめて何が起きたのかを知りました。

いわゆる “9.11アメリカ同時多発テロ” とは、なんだったのでしょうか。

ごく単純に言えば、2001年の9.11とは “テロの時代” が始まった象徴と言っていいでしょう。《紫蝴蝶》 の “紫蝴蝶” という組織も、革命集団というよりも、ただのテロリスト集団として描かれます。

娄烨が9.11に触発されてこの映画を撮ったのか、9.11以前からこの映画の企画が進行していたのか、ぼくには不明です。とはいえ9.11があったからこそ、この映画が成り立ったわけです。

娄烨は、映画において、特に政治的な主張を語るわけではありません。《紫蝴蝶》 の次の映画が 《颐和园》 になるわけですが、もちろん政治的な映画ではありません。


ぼくは、娄烨の最初の映画 《周末情人》 から 《颐和园》 までを “おさげ少女シリーズ” と呼んでいます。そして

危情少女 1994
苏州河 2000
紫蝴蝶 2003

を “娄烨の様式美三部作” と呼びたいと思います。《危情少女》 と 《苏州河》 は短いカットの積み重ねでしたが、《紫蝴蝶》 では特徴的な長いカットが導入されます。

伊玲が駅のホームで司徒を探していると、向かいのホームにいる谢明と丁慧が長丁場で映し出されるシーンがいい例でしょう。映画のラストでも、伊玲はそれとは知らず谢明と丁慧とすれ違い、それが長丁場なショットになっていきます。

なんで特に “様式美三部作” などと言う必要があるのかというと、《紫蝴蝶》 以降、娄烨は、これまでにつちかった、いかにも作りこんだカットをすべて放棄するからです。

《紫蝴蝶》 の次に娄烨は 《颐和园》 2006 を作ります。《颐和园》 から 《推拿》 2014 に至るまでの娄烨の軌跡は、スリリングこのうえありません。どんなカットが再構築されていくのか、楽しんでいきましょう。

紫蝴蝶 Purple Butterfly - Clip 1


Beautiful Dance Scene - Purple Butterfly(2003)


PURPLE BUTTERFLY - Extrait (VOST)

颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨(ロウ・イエ)は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである



暗めの学園青春映画と言われて、すぐ思いつく最近の映画に、赵薇(ヴィッキー・チャオ)の

致青春(So Young 過ぎ去りし青春に捧ぐ) 2013

があります。東京国際映画祭だかなんだかで、この映画が上映されたとき、ツイッターで東京国際映画祭だかなんだかの関係者らしい人の発言を目にしたことがあります。

正確な内容は覚えていませんが、いわく “目の前で見る赵薇って、きれい” とか “この映画で目に止まったのは张国荣(レスリー・チャン)のポスター” とか、そんな内容だったと思います。

この人たちの発言は、とても正直だと思いました。なんでこんなつまらないことしか言えないのかというと、《致青春》 があまりにつまらない映画だったからです。

《致青春》 と

颐和园(天安門、恋人たち) 2006

は、同じような映画と言えば、そうも言えるでしょう。大学で出会った若者たちの青春、そして、大学を離れてからの人生が語られるからです。

しかし、《致青春》 と 《颐和园》 は なんとかけ離れていることでしょう。そもそも 娄烨の 《危情少女(危情少女 嵐嵐)》 の英語タイトルは “Don't Be Young” であって、娄烨ははじめからそう宣言していたわけです。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


周末情人(デッド・エンド 最後の恋人)》 からはじまった娄烨の “おさげ少女シリーズ” は、この 《颐和园》 で終わります。

終わるというよりも、《周末情人》 に回帰したと言ったほうがいいかもしれません。

危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994
苏州河(ふたりの人魚) 2000
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003

は娯楽映画であって、この3つの作品をぼくは “娄烨の様式美三部作” と呼ぶことにしています。《紫蝴蝶》 が興業的に失敗した結果なのかどうかそれはわかりませんが、娄烨はこの映画では、これまでのカットの美学を放棄します。

もちろん、この映画に素敵なカットがないと言いたいわけではありません。映画の文法にいちゃもんをつけたのがヌーヴェルバーグだとはいえ、ゴダールの映画はなんて映画の文法に忠実なことでしょう。

ゴダールはついついインテリとして映画を語ってしまうわけですが、この映画の娄烨は “インテリ以前” の映画を撮ろうとしたように思います。

ぼくたちが生きている日常というか、ぼくたちの日常的な行動とか、いつも目にしている風景は 《戦艦ポチョムキン(战舰波将金号)》 ではなく、ただのありふれた、だらだらとした日常です。

娄烨は、そうしたありふれた日常を、ハンディカム作戦で、ありのままにだらだら描こうとしたのでしょう。その結果、ぼくたちはこの映画で、いくつもの見とれてしまうシーンに出会うことになります。


今さら(2015年2月)この映画における、天安門事件とかセックスシーンとかを語っても意味はないでしょう。天安門事件は実際の出来事だし、人間は誰だって(ではないかもしれませんが)セックスだってします。

それにしても娄烨は、男と女が肩を並べて顔を寄せ合うカットが好きです。これは娄烨お得意のカットというより、娄烨の専売特許と言ったほうがいいでしょう。《苏州河》 での、马达と牡丹の再会後のシーンも思い出してください。

肩を並べて顔を寄せ合う男と女は、決して顔を向き合わせはしません。このカットの意味は、単純に考えていいでしょう。顔を寄せ合う男と女の視線の向こうに見えるものは、決して同じものではないということです。


娄烨が 《周末情人》 1993 とか 《危情少女》 1994 を作っていた、そのちょっと後、たとえばジル・ドゥルーズが飛び降りて自殺します。こんな情報を、娄烨が知っていたかどうかはわかりません。

飛び降り自殺と言えば、2003年4月1日の张国荣の投身自殺なわけですが、この映画で娄烨が张国荣をイメージしていたかどうかはわかりません。そもそも 《苏州河》 2000 で、周迅は橋から飛び降りたのでした。

ただし、この映画のシナリオは、2001年 韩国釜山青年映画監督脚本賞を獲得しています。シナリオができたときには、まだ张国荣は生きていたわけです。ただし、そのシナリオに李缇の飛び降りが書かれていたかどうかはわかりません。

このとき、《苏州河》 の贾宏声は、まだ飛び降りていません。飛び降りるのは、2010年10月です。

というわけで、この映画でもっともすてきなシーンは、李缇が飛び降りるところです。劇映画とか記録映画とかニュースとかそういうのではなく、ただのホームビデオというか仲間内のパーティ動画にたまたま映ってしまったかのように、李缇は飛び降ります。

人は、死にたいときもあるでしょう。ときには、死んでしまう人もいるでしょう。


それにしても、なんで娄烨はこの映画を广电总局(国家广播电影电视总局)の審査に持ち込んだのでしょうか。当時でも今(2015年)でも、この映画が广电总局が審査に通るわけはありません。

それは、娄烨と耐安の(というか耐安の)ひとつの作戦だったように思います。世界のどこで上映されるのかわからないこの映画を、世界のどこかで見た誰かが、単に面白くない映画と評価することは簡単なことです。

しかし、“天安門事件と大胆なセックスを描いた中国で上映禁止になった映画” というキャッチフレーズは、この映画の箔押しになります。評論家とか新聞とか、一般人もそう簡単に “つまらない” とは言えなくなります。

ただし、あれこれの結果、5年間の活動禁止まで命じられるとは思っていなかったことでしょう。とはいえ、中国映画の問題児娄烨は、世界映画の娄烨として活動を続けていきます。

2013金馬影展TGHFF | 頤和園 Summer Palace


娄烨专访:我坦然面对电影审查制度


李志《关于郑州的记忆》 MV 剪辑自娄烨《颐和园》


郝蕾:灵与肉(非常道专访)

春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨(ロウ・イエ)が封印したトキメキ感が復活する予感



ゲイを描いた中国映画といえば、すぐ思いつくのが王家卫(ウォン・カーウァイ)の

春光乍泄(ブエノスアイレス) 1997

でしょう。张国荣(レスリー・チャン)はどちらかといえば丸顔で、梁朝伟(トニー・レオン)はけっこうとがった顔をしています。

春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009

における、とがり顔の秦昊[チン・ハオ](江城)は 《春光乍泄》 の梁朝伟、丸顔の陈思成[チェン・スーチャン](罗海涛)は 《春光乍泄》 の张国荣に相当する--そんなふうに考えると 《春风沉醉的夜晚》
の構図がわかりやすくなるように思います。

監督の娄烨もシナリオの梅峰(メイ・フォン)も、《春光乍泄》 を見たことがあり、この映画を作るにあたって再度見直したことでしょう。それは、秦昊と陈思成という役者選びにもつながっているように思います。

梅峰が娄烨映画のシナリオにかかわるのは 《紫蝴蝶(パープル・バタフライ)》 2003 からで、このときは娄烨がシナリオで、梅峰はシナリオ顧問として参加したようです。梅峰と娄烨は、気があったのでしょう。次の 《颐和园(天安門、恋人たち)》 2006 のシナリオは、娄烨と梅峰と(马?)英力の三人です(?)。

この 《春风沉醉的夜晚》 では、シナリオを梅峰一人にまかせます(ほんとうにそうかどうかは不明?)。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


《紫蝴蝶》 2003 で商業映画を目指した娄烨は、興業的に失敗します。で、それまでの映画監督としての蓄積をすべて捨て去って、一から自分の映画を再構築しはじめた習作が 《颐和园》 だったように思います。

《颐和园》 は天安門事件とかセックスとか、そういう視点から語られてしまうと “自由を求める青春の焦燥” とか、いかにも欧米民主主義というかハリウッド的倫理観の枠におさまってしまいます。そういうのは抜きに、ただの映画として見ると、かなりぶっ壊れていたと思います。

劣悪な制作環境ではあっても、とてもスリリングな状況の中で、新たな娄烨映画の第一歩を踏み出したのが、この 《春风沉醉的夜晚》 ではないでしょうか。

計算されたカットを捨て、見えるものをリアルにあるいは乱暴に映し出すのが 《颐和园》 だったとすれば、そんな姿勢を維持しながら自分の映画の文法を作りはじめたのが 《春风沉醉的夜晚》 でしょう(ぼくは 《颐和园》 にはすてきなカット、すてきなシーンがないと言っているのではありません)

たとえば 《颐和园》 での大学でのダンスシーンと、《春风沉醉的夜晚》 での路上での江城(ジアン・チャン)と王平(ワン・ピン)のダンスシーンを思い出してみましょう。

苏州河》 2000 で、ぼくたちはトキメキ感というかワクワク感をたっぷりと楽しみました。しかし、娄烨は 《紫蝴蝶》 と 《颐和园》 では、そんなトキメキ感を描くことを禁止します。《春风沉醉的夜晚》 では、この路上ダンスシーンも含めて、ポツン、ポツンとトキメキ感が復活します。

最大のトキメキシーンは、もちろん江城が男扮女装(女装)で歌うシーンでしょう。それをうっとり見つめる海涛(ハイタオ)の表情もすてきでした。あるいは、郁达夫(ユー・ダアフー)の小説がぶっきらぼうに読まれるシーンも、トキメキ感の表出と言っていいように思います。ラストシーンは、ほとんどトキメキなシーンになっていました。


この映画がなんでゲイを描いているのかというと、ひとつのメリットは “ハリウッド的倫理観(欧米民主主義)” の枠で語られてしまうことから離脱できるからです。あるいは、ただ単にヨーロッパ受けを狙っただけかもしれません。

しかし、王家卫の 《春光乍泄》 と異なるのは、男と男の関係に女が割り込んでくることです。え! このトリオのロードムービーが始まるの? というワクワク感もかもし出されるのですが、李静[リィ・ジン](谭卓)はあっさり失踪してしまい、江城は海涛をあっさり振ってしまいます。

この道中で(あるいはこの映画で)もっともすてきなシーンが、船の中で(左から)江城-李静-海涛が並んでいるところです。たぶん、娄烨自身のチョイスなんでしょう。この映画のたいていのポスターには、このカットが採用されています。

ぼくたちは、娄烨が一番好きなカットが、男と女が肩を並べ顔を寄せ合うシーンであることを知っています。それは “互いにある部分ではつながっているものの、同時に違う部分ではつながってはいない” ことを表現するカットです。

だからこそぼくたちは、江城-李静-海涛が並んでいるこのシーンで、この三人が肩を並べ顔を寄せ合うのだろうか? と、ある種の “そうなってほしいという淡い期待感” と、同時に “しかし、それは絶対にあり得ない感” を覚えることになります。

もちろん、江城-李静-海涛は、顔と顔を寄せ合うことはありません。この三人はばらばらの個人であって、連帯という幻想に手を差し出すわけではないからです。もっと正確に言うと、海涛は江城-李静と顔と顔を寄せ合う可能性はありますが、江城と李静にはその可能性はありません。


だからといって、娄烨の映画を “愛の不可能性” とかいった、そんなつまらない言葉の枠に押し込めることに意味はないでしょう。“男と女が肩を並べ顔を寄せ合うシーン” は、いまだ娄烨にとって、もっとも大切なカットのひとつであるはずです。

それを描かないことも、その切実さを表すひとつの表現でしょう。ぼくたちは娄烨の、“肩を並べて顔を寄せ合う男と女” のカットが、これ以降どんなふうに展開するのか、楽しみにしていようと思います。

あと、この映画のラスト近く、李静が江城を襲撃するシーンがあります。李静は(たぶん)割れた陶器の破片で、江城の首筋を切りつけます。このカットと、それに続くシークエンスは覚えておいてください。

ある映画監督が自分が撮ったカットを、後の映画で再び使うのは珍しいことではありません。娄烨の最新作 《推拿》 では、このカットがどんなふうに変奏されるのか--これも楽しみにしておきましょう。


最後に、罗海涛を演じている陈思成と、江城を演じている秦昊について、ちょこっと紹介しておきます。

陈思成が誰かというと、佟丽娅(トーン・リーヤー)のだんなです。佟丽娅が誰かというと、昨年日本でも放映されたテレビドラマ 《(宮 パレス~時をかける宮女~)》 2011 の素言(スー・イエン)です。あるいは、《致青春(So Young~過ぎ去りし青春に捧ぐ~) 》 で心の病になってしまう施洁(シー・ジエ)です。

甘い顔つきが张国荣に似ていなくもない陈思成は、テレビドラマのアイドルというか人気者です。

杨幂も出ているのですが、佟丽娅をヒロインの中心にすえた テレビドラマ 《北京爱情故事》 2012 では、陈思成は監督業に乗り出します。

《北京爱情故事》 はわりと評判になって、陈思成は映画版 《北京爱情故事》  2014 も作って、やっぱり監督もします。もちろん、佟丽娅も出ていて、そんなこんなで二人は結ばれたのでしょう。

一方の秦昊(伊能静のだんなです)は、いわゆる個性派役者みたいな存在なのでしょう。あるいは、国際派な役者と言ってもいいのでしょう。とても見る気にはなれませんが、日本を舞台にした 《初到东京(東京に来たばかり)》 2013 でも主演しています。

秦昊は 《春风沉醉的夜晚》 以後の娄烨映画にもつきあいます。どんな役を演じていくのか、楽しみにしておきましょう。


【春風沉醉的夜晚Spring Fever】台灣版預告


首部华语竞赛片《春风沉醉的夜晚》亮相戛纳 海网宽频


春風沈醉的夜晚 Spring Fever-那些花兒


Jessica Jay - Chilly Cha Cha (Movie v.)


(粤语言粤读中文)郁达夫的短篇小说《春风沉醉的晚上》

花(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる



ぼくは娄烨(ロウ・イエ)の 《危情少女(危情少女 嵐嵐)》 1994 から 《颐和园(天安門、恋人たち)》  2006 までを “娄烨のおさげ少女シリーズ” と呼んでいます。

(パリ、ただよう花) 2011

は、《颐和园》 2006 と 《春风沉醉的夜晚》 2009 とあわせて “娄烨のセックス三部作” とでも呼べばいいのでしょうか。そう呼ぶことに、なんの意味もありませんが……。

中国の映画監督が海外を舞台に映画を撮るといえば、すぐに思いつくのが王家卫(ウォン・カーウァイ)の 《蓝莓之夜(マイ・ブルーベリー・ナイツ)》 2007 でしょう。なんだか気の抜けた映像がだらだら続く映画でした。

王家卫はゲイの青春映画 《春光乍泄》 1997 の後、《花样年华》 とか 《2046》 とかを撮ってから、アメリカを舞台にした 《蓝莓之夜》 を作ります。ネタが尽きてしまった結果のひとつの模索だったのでしょう。

娄烨はゲイの青春映画 《春风沉醉的夜晚》 の後、いきなりパリを舞台にした 《花(パリ、ただよう花)》 を作ります。もちろん、娄烨は王家卫の後追いをしているわけではなく、5年間の映画製作禁止という状況の只中でのひとつの模索です。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
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推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


花を演じる主演のコリーヌ・ヤンは、丸顔・切れ長の眼・細い眉と、いかにもヨーロッパ人好きする容貌です。だから人気モデルとして活躍できるのでしょう。

娄烨は女優だろうが男優だろうが、役者をかなり過酷に扱います。《苏州河》 の周迅は、いったいどれだけの表情を演じたことでしょう。しかし、この映画のコリーヌ・ヤンは、いつも同じ表情をしています。

娄烨は、たとえ劣悪な制作環境での映画作りではあっても、中国で撮影された 《春风沉醉的夜晚》 は、とても映画な映画に仕立てあげました。娄烨は、この 《花》 だって、ありったけの力を使いながら作ったことでしょう。

でも、コリーヌ・ヤンというモデルを前にして、娄烨は何かをあきらめてしまったかのようにも思えます。この映画ではときたま風景シーンが挿入されます。それは一見、この息苦しい映画に一陣のさわやかな風を与えているかのようにも見えます。


娄烨は、橋とか鉄橋とかを俯瞰で撮るのが大好きです。もちろん 《苏州河》 を思い出したっていいのですが、まずは 《危情小女》 を思い出すべきでしょう。この映画の風景シーンでも多用されるのが、橋とか鉄橋とかの俯瞰です。

娄烨は自分が編み出したカットを、自らに封印するのも好きです。ただし、ここぞというときには、そんなカットを復活させるのも好きです。

娄烨は、橋とか鉄橋とかの俯瞰は 《颐和园》 以後は、自らに禁じていたように思いますが、それがこの映画では復活します。それは “ここぞ” の復活ではなく、言い訳じみた復活のように見えます。


娄烨は、コリーヌ・ヤンに対して何をあきらめたのでしょうか。もちろん、役者としてのコリーヌ・ヤンを過酷に扱うことをあきらめたのでしょう。裸になるとか、セックスシーンを演じるとかは、役者を過酷に扱うこととは何の関係もありません。

娄烨映画にとっての重要な要素をあきらめた彼は、だからこそ、すでに使い古した感のある風景のカットをところどころ散りばめたのではないでしょうか。

人形を人形として描くことで、逆に見えてくるもの、表現できるものもあるのではないか? 娄烨はそんな試みにチャレンジしているようにも見えます。何が見えてきたのでしょうか?

ぼくは、この映画に感想はありません。


娄烨にとっての収穫は、はじめて小説を映画化したということでしょう。原作は、パリに住んでいる刘捷という人の自伝的ネット小説だそうです。ここからしばらくして 《推拿》 2014 で、再び小説の映画化に挑むことになります。

それにしても娄烨は、なんでこんなに雨のシーンが好きなのでしょう。生きていくというのは、どしゃぶりの雨の中を歩いていく、走っていくようなものだからでしょうか。あるいは、できごとというのは、いつも雨の中で起こるものなのでしょうか。

Love and Bruises (2011) Trailer


LOVE AND BRUISES

浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨(ロウ・イエ)のすてきなカット



解禁明けの娄烨(ロウ・イエ)が撮った映画が

浮城谜事(二重生活) 2012

です。《浮城》 2006 という小説があるそうで、梁晓声という人が書いています。これは大地が割れて、ある地域が浮いた都市状態になってしまうお話だそうです。SFというわけではなく、文学のようです。

“浮城” という言葉はそこから生まれたのでしょう。《浮城大亨》 2012 という香港映画もあります。郭富城が主演(笑)している、実業家の人生を描く物語のようです。たまたま 《浮城谜事》 も2012年の映画です。《浮城大亨》 の大陸での上映が5月、《浮城谜事》 の公開が10月です。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


《浮城谜事》 は、どしゃ降りのなかでの衝撃的なシーンから始まります。それに続くタイトルバックでは、秦昊(チン・ハオ)が飛行機に乗っていて、そこから武汉の街が空撮で映しだされます。空撮なんて珍しいわけではありませんが、娄烨の映画でははじめての事態です。

颐和园》 2006、《春风沉醉的夜晚》 2009、2011年 《》 と、あれこれの試みを模索していた娄烨ですが、この空撮シーンを見ているだけで、いよいよ娄烨が映画館に帰ってきたのだと、うれしくなります。娄烨自身も、はじめての本格的な空撮を楽しみにしていたことでしょう。


秦昊が自宅に帰りつくと、待っているのは妻の郝蕾(ハオ・レイ)と幼い子供(女の子)です。秦昊は、《春风沉醉的夜晚》 で好演したと思います。郝蕾は 《颐和园》 から、役者として格段に成長しています。《颐和园》 の水のないプールでのしぐさや日記の朗読は、娄烨が郝蕾の足りなさを補うために編み出されたシーンのようにも思います。

娄烨は、表情に何ごとかを語らせるのが大好きです。この映画の郝蕾は、《苏州河》 の周迅に負けないくらいの表情を作っています。特に喫茶店で、友だちのだんなの浮気相手が、自分のだんなであるとわかるシーンはすてきです。

娄烨はおさげ少女が大好きですが、《颐和园》 以来おさげ少女を封印してきました。この映画では、おさげ少女が半分復活しています。郝蕾は、三つ編みのおさげ二つをひとつに束ねているからです。


この映画の郝蕾は、《颐和园》 の于红のその後の姿と考えていいのでしょうか。《颐和园》 は何年にもわたる映画なので、もちろんそうではありません。ただし、《颐和园》 の于红が一般的なというか、わりと優秀な運命をたどった姿なのでしょう。

それにしても娄烨は、どうして女視線で物語を語るのが大好きなのでしょうか。たぶん、女の表情を撮るというか、女に表情の演技をさせるのが好きなのでしょう。

危情少女》 1995 の瞿颖がけばい化粧をしているのは、表情を閉じ込めるためだったのでしょう。《花》 では、表情を閉じ込める作戦は適用できずに、映画全体が失敗していました。ところで、この映画には瞿颖がちょこっと友情出演してます。


《颐和园》 では、《紫蝴蝶》  2003 までに培ってきたテクニックをすべて捨て去った娄烨でしたが、それ以降の映画で、ふたたび自分のカットを再構築してきました。それがこの 《浮城谜事》 という映画の最大の収穫なのだ……と言っていいように思います。だから、

颐和园(天安門、恋人たち) 2006
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ

を “娄烨と曾剑(ツアン・ジエン)によるカット作り再構築三部作” と呼んでおきましょう。曾剑は 《颐和园》 で編集の仕事に参加して、《春风沉醉的夜晚》 と 《浮城谜事》 で撮影を担当します。次の 《推拿》 も撮影担当です(《推拿 2014|目をつむって娄烨(ロウ・イエ)の “見えない映画” を見る》 参照)。

かつて使っていた俯瞰ぎみの風景のカットを 《花》 では、そっとというか言い訳ぎみに使いました。しかし、この映画では正々堂々と自信をもって、かつてのカットを復活させています。

もうひとつうれしいシーンがあります。《苏州河》 で、物語とはなんの関係もなく、唐突にハネムーンに出発するカップルとか、お誕生日パーティが挿入されます。そして、ざらついた映像がふわっとめくれるように女の顔のアップをとらえ、女はいきなりカラオケを歌いだします。

“ざらついた映像がふわっとめくれるように女の顔のアップになる”--これが復活したのです。秦昊のデート相手の顔があきらかになる、そのシーンをぼくはわくわくしながら何度も見ました。ぼくは一瞬、《苏州河》 と同じ役者なのかと思ったのですが、たぶん違うのでしょう。でも、そっくりなんです。


もちろん、他にも 《紫蝴蝶》 以前のカットの復活もあれば、《颐和园》 以降のカットの復活もあります。この映画で、特に特長的なのが、静止している人間ではなく動いている人間を撮り、しかもカメラも動くところでしょう。

こう書くと、そんなの娄烨映画ではあたりまえではないかと言われてしまうでしょう。でも、もっと高度なレベルのカットとして成り立っているということです。

ぼくたちは郝蕾のボリューム感を知っているわけですが、郝蕾の表情や動きにくらべると、秦昊の表情や動きはなんと情けないことでしょう。この映画では、秦昊をどこまでも突っ放して描いています。たぶん、それははじめから予定どおりだったのでしょう。

日本に秦昊ファンというのがいるのかどうかわかりませんが、心配しないでください。娄烨の最新作(2015年時点) 《推拿》 では、ぼくたちを思う存分わくわくさせてくれます。


娄烨はこの映画でおさげ少女を半分復活させたわけですが、娄烨が、大好きなのにずっと封印している男と女が肩をならべ顔を寄せ合うシーンは、この映画ではもちろん登場しません。

娄烨は、特にいわゆる “愛の不毛” とかそういったことを主張したい監督ではありません。娄烨はこの映画だって、ハッピーエンドだと思っているようです。いずれ、“男と女が肩をならべ顔を寄せ合うシーン”がどんなふうに描かれるのか、これも楽しみにしておきたいと思います。


最後に、幼稚園だかなんだかのいくつかのダンスとか運動会だとかのシーンに触れておきましょう。今から見れば 《春风沉醉的夜晚》 の街頭でのダンスシーンは、《颐和园》 の大学でのダンスシーンよりとてもすてきです。

そして、この映画での子供たちと親たちと先生たちの集団シーンは、映画を見るわくわく感とかときめき感にあふれています。

《浮城谜事》 預告片


《浮城谜事》追谜版预告


《浮城谜事》北京首映 娄烨吐槽电影审查制度


《浮城谜事》纪录片

推拿(ブラインド・マッサージ) 2014|目をつむって娄烨(ロウ・イエ)の “見えない映画” を見る



娄烨(ロウ・イエ)が大陸の映画館に戻ってきて、2つ目に作った映画が

推拿 2014

です。この映画が最初に上映されたのは、2014年2月11日の第64回ベルリン国際映画祭でした(銀熊賞)。大陸では同年11月28日、台湾では今年(2015年)の1月23日、香港では今年2月19日に公開されました。

例によって衝撃的なシーンから始まって、秦昊(チン・ハオ)がまたしてもお見合いに失敗したところからナレーションが流れます。 “娄烨作品  《推拿(トェイナア)》 ~”…… ”この映画は毕飞宇(ビィ・フェイユウ)の原作で~” …… “この映画の制作は耐安(ナイ・アン)と~” …… “監督は娄烨”…… ”主な出演者は~” …… 。

え! ぼくは予告編かなにかを見ているのかな? そう思ったのですが、そうではなくきちんと本編でした。

娄烨は、新浪娱乐(シンランユウルア)のインタビューに対して “原作の小説は、本来視覚化できるものではない。なぜなら盲人たちの世界を描いているからだ” みたいなことを語っています。娄烨は、この映画を盲人に見てもらうために作ったのでしょうか。

もちろんそういうことなのですが、このタイトルバックは、一方で目が見える観客に対して、“おまえら、目をつむってこの映画を見ろ!” という言葉をつきつけているように思います。


昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


ネットで、娄烨の最新作がこの 《推拿》 ということを知ったとき(2014年)、この映画のポスターが目に入りました。白衣を着た人たちが並んで記念写真でも撮っているかのようです。盲人用の杖を持っている人もいるので、白衣の人たちは盲人なのでしょう。

英語タイトルが 《Blind Massage》 なので、盲目のマッサージ師についての映画なのでしょう。ポスターをよく見ると、記念写真なので当然のことではありますが、みんな笑っています。秦昊にいたっては、口を大きく開けて大笑いしています。

娄烨の映画で誰かが笑っているシーンなんて、いったいいつ見たことでしょうか。ひょっとしたら、この 《推拿》 は笑える映画かもしれない……そんなふうに思って、見られる日が来るのを心待ちにしていました。


ぼくはすでに 《推拿》 を何度も見ました。《苏州河(ふたりの人魚)》 2000 と同じように “いい映画だね” とだけ言っておけばいいように思います。

娄烨は 《颐和园》 で、かつて構築したカットのすべてを捨てて、ゼロからスタートしなおします。結果、たまたま運良く五年間の映画製作禁止の刑までくらいます。そういう意味では

颐和园(天安門、恋人たち) 2006
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009
浮城谜事(二重生活) 2012

という3つの映画を、たとえば “娄烨のリハビリ三部作” と名付けていいようにも思います。なんでかと言うと、そういったあれこれの模索が一挙に開花したのが 《推拿》 だからです。

繰り返しになりますが、ここでくれぐれも間違ってはいけないことは、 娄烨は  《颐和园》 を撮ったために迷路に入り込まされたわけではなく、《颐和园》 において自らの意思で迷路に入ったということです。


金马奖は、いわば台湾のアカデミー賞です。第51回金马奖で 《推拿》 は、7部門でノミネートされ、2014年11月22日、6部門で最優秀賞を獲得しました。なんで、今年(2015年)の1月23日に公開された映画が、昨年の11月に賞を獲得できるのか? そういう事情はぼくにはわかりません。

ノミネートされながら、獲得を逃したのが最優秀監督賞です。最優秀監督賞は 《黄金时代》 を撮った香港の女流監督许鞍华です。《黄金时代》 には汤唯冯绍峰朱亚文黄轩郝蕾袁泉田原祖峰といった豪華メンバーがそろっています。

《推拿》 にも出ているのが黄轩、《浮城谜事(二重生活)》 2012 に出ていたのが郝蕾、朱亚文と祖峰(刑事コンビ)……と、わりと娄烨がらみの役者が出ています。それにしてもテレビドラマ 《》 で紅くなった冯绍峰は有名になったものです。

娄烨がこの映画 《推拿》 で、映画監督としてはじめて成し遂げたことは、大量の登場人物を描いたということです。これまでの娄烨映画は、主要登場人物は2、3人とか3、4人と極めて限られていました。《推拿》 を見た誰もが “娄烨ってこういうのできるんだ” と感心することでしょう。


《推拿》 が金马奖で獲得したの賞の1つが、最優秀音響効果賞(あるいは最優秀録音賞)の富康です。娄烨の映画を見ていれば、映像へのこだわりはもちろん、音へのこだわりもよくわかります。たとえば、街中の騒音やバイクや船のエンジン音などです。

目をつむって、この映画を見ていると思ってください。ナレーションが、小马(シャオマア)の目が見えなくなったいきさつ、目は治ることなく小马は成長したことを説明し、施設の世話人みたいなおばちゃんが “小马、ご飯だよ” と言います。ちょっとして、たぶんご飯の茶碗が激しく割れる音がして、周囲の人々が早く医者を呼べ、早く電話しろなどと叫びます。

何が起こったのかというと、小马はご飯の茶碗を壁に叩きつけて割り、茶碗の破片でのどを突き刺します。“小马、ご飯だよ” というおばちゃんの声、茶碗の割れる音、騒然とする人々--これらの音だけで、何が起こったのかを想像する……というか、見えない映画を見ることは可能でしょう。

“座って” という声の後に続く、椅子をひきずる音。おおぜいの盲人が、杖で道を叩いている音。小马が子供のときから、ずっと持っている時計の機械だけ部分(たぶん)のジリジリと鳴る音。引き戸がガラガラと引かれると、必ず女たちの声--こういったリアルな音が、ていねいに積み重ねられていきます。

娄烨の映画なので、もちろん雨も降ります。でも、雨の音を聞いていると、それほどどしゃ降りではありません。


この映画は第51回金马奖で、最優秀撮影賞(曾剑)と最優秀編集賞(孔劲蕾[コン・ジンレイ]、朱琳)も獲得しています。

曾剑は北京电影学院摄影系を卒業して、編集の仕事からはじめます。娄烨とは 《颐和园(天安門、恋人たち)》 2006 からのつきあいで、娄烨と曾剑の二人が編集を担当しています。

そして、《春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー)》 2009 では、撮影と編集を担当します(第47回金马奖最優秀編集賞)。

ご法度時代の娄烨は、もうひとつ 《(パリ、ただよう花)》 2011 を作りますが、この映画の撮影は余力为です。この人が誰かというと、“撮影は、ジャ・ジャンク―作品には欠かせない撮影監督” といった宣伝文句にもなれる人のようです。

《花》 がなんでひどかったのかというと、余力为のおかげだと思います。そういうわけだと思います。 《浮城谜事》 2012 でも、この 《推拿》 でも、撮影は曾剑です。《浮城谜事》 で曾剑と娄烨のカット作りは完成しました。

娄烨が俯瞰気味のカットが好きなことは、よくご存知でしょう。また、屋上とかお店、部屋とかから見降ろすカットもすてきです。《浮城谜事》 では、空撮まで敢行しました。しかし、《推拿》には見上げるカットも見降ろすカットも、ほとんどありません。

これは、盲人が見上げることも見降ろすこともできないからです。盲人に見えるものとは、自分の身体の回りで起こっている、人の声や行動、気配、他人との服とか体の接触、あるいは物が出す音とか温度とかです。だから、ほとんどのカットはそういった “視点” から映しだされます。

この映画では、秦昊は梅婷(メイ・ティン)に恋心を抱きますが、梅婷は素直に受け入れようとはしません。なんでかというと、曾剑が横からでしゃばってきて、梅婷を奪ってしまったからです。曾剑と梅婷は、2012年、香港で結婚式をあげ、2013年には女の子が生まれたそうです。

多くの登場人物がスムーズに、無理なく描かれているのは、この映画の編集作法も貢献しています。

編集の一人、孔劲蕾はインデペンデント系映画の編集者で、贾樟柯(ジャ・ジャンク―)映画の編集も多く手がけています。

いわば、”反エイゼンシュテイン編集” と呼んでもいいかもしれません。異なるカット同士をつなぐのではなく、あるカットの後には同じようなカットがつながれ、映画のリズム、物語がつむがれていきます。

なお、娄烨がしばらく封印していた “おさげ少女” も “男と女が肩を並べて顔を寄せ合うシーン” も、この映画ではなんでもありになっています。


小孔(シャオコン)を演じた张磊(ジャン・レイ)は、最優秀新人演技賞を獲得します。秦昊の古くからの友人である郭晓冬(グオ・シャイドン)の恋人役です。秦昊も郭晓冬も、そして张磊も盲目のマッサージ師役ですが、张磊はほんとに盲人です。ただし、かすかには見えるそうです。

どんな役、どんな演技、どんな物語が語られるのかは、映画を見るときの楽しみにしておいてください。

ちょっとばらしてしまうと、彼女はこの映画ではじめてキスをしたそうです。撮影時は盲学校の学生だったのですが、現在は実際に推拿师tuīnáshī(マッサージ師)をしています。

彼女はけっこうな映画マニアで、好きな映画は、たとえば 《长江七号(ミラクル7号》 2008 です。”娄烨の 《苏州河(ふたりの人魚)》 2000 は見たことがあるけれど、とても深い境地を描いていて、自分はまだそこまで達していない” と語っていました(网易娱乐インタビュー)。

この映画では、张磊以外にも実際の盲人たちがマッサージ師を演じています。沙宗琪推拿中心(シャーゾンチーマッサージセンター)の経営者の一人を演じている王志华(ワン・ジーホア)は、歌手だそうです。また、穆怀鹏(ムー・ホアイパンという人は、毎週末天津で盲人相声(盲人漫才)を演じているそうです。


この映画で、最優秀翻案シナリオ賞をもらったのが马英力(マァ・インリー)です。この人は、いったい誰でしょう。

日本のサイトには、《天安門、恋人たち》 のシナリオが “娄烨+梅峰+英力” とか、“梅峰+英力” と書かれています。この英力が、马英力と同一人物かどうかはわかりません。

《推拿》 が日本で公開されるときには、明らかになるのかもしれません。

で、马英力が誰かというと娄烨の奥さんです。北京广播学院(现中国传媒大学)監督科を卒業し、1987年にはドイツに留学、まずドイツ語を勉強してからベルリン映画学院監督科に入学、1995年卒業という経歴だそうです。

以後、ベルリンと北京をいったりきたりして仕事をしているとのことで、お仕事はドキュメンタリー映画制作のようです。すべて百度百科の情報なので、どこまで本当かはわかりません。

娄烨が、自分で青春群像を描くのはとても無理なのでシナリオを马英力に託したのか、あるいは娄烨自身もかなりシナリオにかかわっていたのか、それはわかりません。


金马奖で獲得した獲得した5つの賞を紹介してきましたが、もうひとつ獲得した賞は、もちろん ”最優秀作品賞” です。

金馬51颁奖典礼:最佳新演員/張磊(推拿)


第51屆金馬獎最佳影片【推拿】中文正式預告

推拿(ブラインド・マッサージ) 2014|新浪娱乐インタビュー : 娄烨(ロウ・イエ)、最新作 《推拿》 について語る



推拿tuīná》 は、娄烨(ロウ・イエ)の最新作(2015年3月現在)であり、盲目のマッサージ師たちの物語です。どんな映画なのかとか、そういうことについては

推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “わくわく”  “ときめき” の登場人物たち
推拿 2014|目をつむって娄烨(ロウ・イエ)の “見えない映画” を見る

を見てください。この記事では新浪娱乐が 《推拿》 について、娄烨にインタビューした記事を、中国語の勉強がてら見てみてみましょう(抜粋)。誤訳があっても、ごめんなさい。



昨年(2014年)2月11日、ベルリン国際映画祭で娄烨の 《推拿》 が上映され、この映画は大陸では同年11月28日に公開されました。そんなわけで今年(2015年)の2月から3月にかけて、娄烨の、見たことのある映画、まだ見ていなかった映画、全部を見てみました。

周末情人(デッド・エンド 最後の恋人) 1993|《苏州河》 马达(贾宏声)のその後
危情少女(危情少女 嵐嵐) 1994|娄烨の “おさげ少女シリーズ” スタート!
苏州河(ふたりの人魚) 2000|聡明な蓉儿を演じられたのは周迅だけである
紫蝴蝶(パープル・バタフライ) 2003|《苏州河》 から 《推拿》 までの距離、あるいはテロの時代
颐和园(天安門、恋人たち) 2006|娄烨は肩を並べて顔を寄せ合う男と女のカットが好きである
春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー) 2009|娄烨が封印したトキメキ感が復活する予感
(パリ、ただよう花) 2011|できごとはどしゃ降りの雨の中で起こる
浮城谜事(二重生活) 2012|”おさげ少女” の半分復活、あるいは新生 娄烨のすてきなカット
推拿 2014|目をつむって娄烨の “見えない映画” を見る
推拿 2014|新浪娱乐インタビュー : “娄烨 《推拿》 について語る”
推拿 2014|娄烨(ロウ・イエ)が描く “もえもえの盲人マッサージ師たち”
娄烨电影 《推拿》 2014|萌萌哒盲人推拿师们(ロウ・イエが描く “もえもえの盲人マッサージ師たち” [中国語版])


新浪娱乐:拍这个题材的初衷是怎样的?
(この映画を作るきっかけは、なんだったのですか)

娄烨:《推拿》 是一部非常好的小说,也是基本上不可能被“视觉化”的小说,因为它写的是一个盲人的世界。改编它非常难,我不知道为什么有那么多改编的电视剧、话剧。但是它给这部电影的工作提供了一些新的可能性,它逼着你寻找一种方式、一种语言来呈现一部“看不见的电影”,这本身就是一个悖论。这个是非常有意思的事情,也是非常刺激的一个工作。我感谢我的合作伙伴,一直陪伴着我。
(《推拿》 はとてもいい小説だけど、視覚化が不可能な小説だ。だって、盲人の世界を描いているからだ。この小説をもとにしたテレビドラマやお芝居が、どうして存在するのかわからない。しかし、この小説は、この映画に新たな可能性を提供してくれた。それは、いわば “見えない映画” を表現するための手法の模索だ。もちろんこれはパラドックスだけど、これはとても面白いことであり、とても刺激的な仕事だ。この映画に携わってくれたみんなに感謝している)

初衷chūzhōng:最初の願い、初志
呈现chéngxiàn:様相を呈する、状況が現れる
悖论bèilùn:パラドックス、逆説

电视剧 《推拿》 2013
推拿》 はテレビドラマにもなっています。また、娄烨が言っているようにお芝居にもなっているのでしょう。原作小説 《推拿》 2011 を書いたのは毕飞宇(ビィ・フェイユウ)という人です。

テレビドラマ 《推拿》 2013 のシナリオが陈枰という人です。この人は、ドラマをもとにした 《推拿》 という小説を発表しています。これに対して、毕飞宇は、テレビドラマ用に翻案することは認めたが、ドラマから派生するシナリオや小説の出版は認めていないとして、訴えを起こしたとのことです。


新浪娱乐:昨天你也说过,《推拿》 制作方面的限制大于其他方面限制。这次审查,是不是问题不大?
(監督が昨日おっしゃった、この映画を作るにあたっての制限というものはどういうものですか?  この映画での審査では大きな問題はなかったのですか)

娄烨:现在审查问题,我个人认为不是一个最大的问题。但是,如果说这个 《推拿》 还有审查问题的话,我觉得太荒谬了。这是一个拿过茅盾文学奖的作品,改编成电视剧、话剧、电影,如果这样一个电影还会有审查问题的话,我觉得审查委员会都是瞎的。
(今の私のとって映画の審査制度は、個人的には大きな問題ではない。ただし、この映画が審査で問題となったとしたら、とんでもないことだ。茅盾文学賞を取った原作であり、テレビドラマやお芝居にもなっている。なのにこの映画が審査で問題になっったとしたら審査委員会はめくらだ)

大于dàyú:~を上回る、~よりも大きい
荒谬huāngmiù:でたらめである、道理に合っていない

毕飞宇
茅盾文学賞(茅盾文学奖)というのは、茅盾(マオ・ドゥン)という作家がいて、この人は1981年に死ぬのですが、その翌年から設立された文学賞です。面白いのは、年に一度作品が選ばれるのではなく、(ほぼ)4年に一度、4つから5つの作品が選出されます。

《推拿》 は、第八回茅盾文学賞 2011(対象期間は2007-2010)で選出された五作品のひとつです。この第八届茅盾文学奖についての百度百科には、選考過程があれこれ書かれています。

まず、195部の小説が選ばれ(4月)、この中から候補作品にふさわしい178部が決まります(6月)。8月に本格的な選考が行われ、投票によって81部→42部→30部→20部→10部と絞られていき、賞を獲得する5作品も投票で決まります。中国の人たちは、こういうのが好きです。


新浪娱乐:比如?
([娄烨の “映画製作には目に見えない圧力も多いのだ” という意見に対して]たとえば?)

娄烨:每个人都会有很多压力,比如说影片的上映、销售、票房,还有一些生活上的压力。实际上能看见,不一定能知道很多事情,可能还不如一个看不见的人,所以这个是特别有意思的,那么怎么来面对这些呢?我认为毕飞宇给我讲的那个故事是非常好的。他曾经说过一个故事,有一次他在结束了盲人推拿后,正好遇上停电,于是盲人推拿师领着他下了楼梯。在一些“黑暗”的环境里,往往“盲人”才是“正常人”的引路人,我想这是他想传达的一个很重要的信息。
(誰もが多くの圧力を抱えている。映画についていえば興行成績も圧力の1つだし、生活する上での圧力もある。目が見えるということは、多くのことを理解しているということだとは限らないし、目が見えない人のそれより劣っているかもしれない。だから、このことに意味がある。どうやってこのことに対峙したらいいのか? 毕飞宇が私に語ってくれた、とてもおもしろいエピソードがある。あるとき、彼はマッサージをしてもらい、終わったちょうどそのとき停電になった。そのとき、マッサージ師が彼を階下に誘導してくれたんだ。“暗闇” の中では、盲人は往々にして“正常人”を道案内してくれるのだ。これは毕飞宇が伝えたかった大切なことの1つだと思う)

引路yǐn//lù:手引きする、道案内する


新浪娱乐:不少影迷会觉得,你的电影对性的描写是非常直白的。
(多くの映画ファンが、あなたの映画は性描写が過激だと言います)

娄烨:其实,别的东西也很直白。这部片子,还不是特别直白。
(セックス以外だって過激だよ。ただし、この映画は特別に過激というわけじゃない)

新浪娱乐:可能每个人心里的尺度不一样?
(一人ひとり、尺度が異なる?)

娄烨:我觉得没有特别过分。对我来说,影片必须有一个最基础的正常叙事,比如说电影它应该有一个最基本的叙事语言层,如果被破坏的话,影片就会失去很多的魅力。有可能是作者原因,没有到达这个基础语言层面,还有可能是外部原因,比如电影审查。
(特に“やりすぎ”てるわけじゃない。私にとっては、映画に必要なのは土台となる語り口だ。それが崩れてしまったら、映画は魅力を失う。語り口が崩れてしまうのは、監督の問題であることもあるだろう。さらには、外部的な問題もある。たとえば、そのひとつが審査制度だ)

新浪娱乐:你觉得这一次,这些部分的描写,达到了你刚刚说的基本语言层了吗?
(この映画は、どんな語り口のレベルに到達しているのでしょうか)

娄烨:我个人认为,《推拿》刚刚到基础的表达层面,没有特别超过这个层面,就是一个正常电影应该获得的一个状况,应该是这样的,如果这个还有问题,实际上破坏就开始了,我个人是这样认为的。
(個人的には 《推拿》 は表現レベルの土台に到達していると思う。きちんとした映画は、そのようなレベルにあるべきだ。でも、これには問題もある。その時にこそ、
到達した土台の崩壊が始まる)

直白zhíbái:坦率;干脆爽快,直截了当
影片儿yǐngpiānr:映画


颐和园
新浪娱乐:但是你对于性的描写和表达,比如 《颐和园》 ,不少影迷觉得是非常大胆的。
(たとえば 《颐和园(天安門、恋人たち)》 2006 の性描写について、多くの映画ファンはとても大胆だと感じている)

娄烨:我真的觉得,我对性和暴力的表达,在极其正常的范围内。就从我的从业经验和观影经验来说,真的是在一个非常正常的范畴之内。起码我个人认为,过分的暴力,过分的性实际上是一种说教,我个人这么认为的。
(性と暴力に関しては、きわめて正常な範囲で描いているつもりだ。少なくとも、“やりすぎ”の暴力描写、“やりすぎ”の性描写には意味がない)

新浪娱乐:你所说的性和暴力“过不过分”,是针对什么来说?
(監督の言う性と暴力の描写についての “やりすぎ" と “やりすぎじゃない” について説明してください)

娄烨:我认为的 “过分”,就是干扰你进入到人物故事情节、情感、气氛,就是这个暴力或者色情,干扰了你进入影片。这个是过分的,这个不单是关于性、暴力、政治、对白、说教,一切只要干扰故事情境,干扰整个影片的运行,都可以称之为“过分”。
(観客が、映画に登場する人物の物語、感情、雰囲気を理解するのを邪魔する暴力や性の描写、これが “やりすぎ” ということだ。性、暴力、政治、会話などだけではなく、映画全体のストーリー展開、流れを邪魔するものすべてが “やりすぎ” だ)

针对zhēnduì:ぴったり対応する
干扰gānrǎo:じゃまする、妨げる


(以下、《推拿》 のラストを知りたくない人は読まないでください)

新浪娱乐:这次 《推拿》 的结尾,收在了小马身上,他好像是复明了,有了一个自己的推拿小店,也有小蛮。大家说这是一个光明的结尾,这可能跟你以前的风格不一样,以前还是比较黑暗纠结一些。
(《推拿》 のラストでは、小马[シャオマア]の視力が回復したようです。彼は自分のマッサージ店を持ち、さらには小蛮[シャオマン]といっしょになる。映画を見たひとたちは、ひとつのハッピーエンドだと言っています。これは以前のスタイルと違いますよね。かつての映画の結末は、どれも悲劇的でした)

娄烨:没有啊!前面几部也还好吧。
(そんなことはない! 最近の何作かはけっこう良かっただろう)

新浪娱乐:《浮城谜事》 就挺纠结的。
(《浮城谜事(二重生活)》  2012 は、まさに “どうしたらいいのかわからない” というラストでした)

浮城谜事
娄烨:《浮城谜事》 是冷一点,但它最后还是给出一个解决方案,当然这个解决方案,有点儿虚无主义、有一点泛神论。但我个人认为,那个方案已经是非常温暖的建议了,那是一个温暖的结局,就是用这个作者的态度建议去烧纸钱祭奠。实际上 《推拿》 的结尾也是一个建议吧,也还是比较温暖的。这个结尾和小说不一样,我跟毕飞宇聊过这个,小说的结尾是盲人手拉手,我们其实拍了,但是最后选择的还是这个。
(確かに 《浮城谜事》 はちょっと冷たいんだ。しかし、最後に解決策を見出す。それはちょっと虚無的であり、汎神論的でもある。でもそれは温かみのある解決策であり、温かみのあるラストだ。紙銭で死者を弔う。《推拿》 のラストも1つの希望であり、それはけっこう温かい。ただし原作のラストとは違う。原作のラストはみんなが手をつなぐ。実際にそのシーンも撮影した。でも、結局はこのラストになった。これについては、毕飞宇とも話したことがある。

新浪娱乐:为什么会选这么一个结尾呢?
(どうしてこのラストになったのですか?)

娄烨:其实,主要是小蛮太漂亮了。
(それはさ、小蛮がとてもきれいだからだよ)

新浪娱乐:小蛮太漂亮了,不舍得让小马把她放走?
(小蛮はきれいですね。小马に小蛮をあげてしまうのは惜しかったですか)

娄烨:对呀!
(そうだよ!)

祭奠jìdiàn:弔う、供養のための祭事を行う

“これまでのどの映画もラストは暗かった” という問いかけに、娄烨が “そんなことはない” と反発するのは、とてもすてきだと思います。

たとえば 《春风沉醉的夜晚(スプリング・フィーバー)》 のラストで、秦昊がアロハシャツみたいなのを着て街の階段を降りてくるシーンを想い出してもいいでしょう。

推拿 Blind Massage (2014) 完整的预告片


《推拿》載譽而歸主演吐槽受折磨 导演娄烨為票房著急