2012年4月4日水曜日

甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第36集~第40集|皇帝と甄嬛の陰謀


ラベル“甄嬛传” 15

第36集 - 第40集では、皇帝と甄嬛がつるんだ、華妃の兄である年羹尧の追い落とし作戦が語られます。ここでも、ストーリーは、甄嬛を中心とした後宮のメンバーたちと皇帝の口から間接的に語られます。

物足りないと言えば物足りないのですが、半年の撮影で全76集を撮影したこのドラマに、緻密な演出を求めるのは無理というものです--などとドラマの作りに文句を言う前に、難問があります。

中国語に堪能ではないぼくたちにとって、映画やドラマを見るとき、言葉はわからなくても、絵で見ればわかる部分も多いわけです。しかし、セリフだけで語られてしまうと、ストーリーを追うのがやっかいになってしまうという問題です。

清朝の最盛期が康熙 - 雍正 - 乾隆とされているわけですが、雍正(世宗)については、あれこれな謎が語られたり、悪評も少なくないようです。

雍正については、2009年に開かれた展覧会の資料が参考になるかもしれません。

雍正--清世宗文物大展

雍正がインテリであると同時に芸(術)もよくたしなむという面は、テレビドラマ 《》 では、それなりに描かれていたと思います。

《甄嬛传》が、あまりに歴史を無視したストーリーであるということを指摘した文章を見たこともありますが、ドラマはドラマであって、歴史ではありません。

とはいえ、年羹尧が九十二の罪をもって、すべての職と地位を剥奪されるのは、このドラマにおいても雍正三年のこととして描かれていると思います。

たかが山賊が皇帝に成りあがったり、帝位争いのすえ皇帝になった皇帝には、背景には軍事力の把握があるわけです。

しかし、皇帝として権力のすべてを握ったとき、彼を支えてきた軍事力が邪魔になります。そんなわけで、中国の皇帝の多くは、ともに闘った将軍たちを抹殺します。

年羹尧も、そんな例のひとつなのでしょう。康熙であれば、はやばやと始末したのがオーバイです。

年羹尧が成敗されてしまえば、当然、ぼくたちを笑わせてくれた愛すべき华妃も失墜するわけです。これまでご苦労さまでしたと、お礼を言わなければなりません。

年羹尧事件に恐れをなした曹贵人は、皇后の前で、华妃の数々の悪事--甄嬛に疑惑がもたれれた曹贵人の娘・温宜公主への毒薬投与事件、沈眉庄のえせ妊娠事件、淳儿殺害事件などをしゃべってしまいます。

正直にあれこれを告白した曹贵人は、襄嫔に昇格します。

华妃お付きの宦官・周宁海も。华妃の悪行を認めてしまうため、华妃は一気に年答应へと格下げされます--それでも、彼女は、まだ生き延びてはいるのです。

この第36集~第40集における、ちょっと注目しておきたいエピソードをいくつか書いておきます。

华妃は、かつて妊娠して、流産したことがあったのですが、それは、年氏一族のさらなる隆盛を恐れた皇帝が、二度と妊娠できない毒薬を盛ったからなのでした。これを実行したのが病弱な端妃です。

华妃を重んじつつ年羹尧一派の追い落としを画策した甄嬛に、眉庄は疑惑をいだくわけですが、甄嬛の意図を理解した眉庄は、再びなかよしに戻ります。

あと、甄嬛に対する数々の謀略をしかけた安陵容のそれは、皇后と共謀したものであることも判明します。


ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后


0 件のコメント:

コメントを投稿