2012年4月4日水曜日

后宫・甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|清朝後宮ランキング(側室制度)


ラベル“甄嬛传” 3


テレビドラマ《甄嬛传Zhēn Huán zhuàn》は、甄嬛が妃嬪側室)として、どんどん偉くなっていく物語だと思います。

この物語を楽しむには、清朝の側室制度というか、側室ランキングの基礎知識が必須になると思います。清朝側室制度の概要を見ておきましょう。なお、《甄嬛传》の概要については

后宫・甄嬛传 2011 - 源氏物語=少女マンガ
中国語版:甄嬛传就是少女漫画

を参照してください。

清朝における妃嬪たちは、下位から並べると次のようになっていたそうです。

答応  --定員なし(低階|七姨太
常在  --定員なし(低階|六姨大
贵人  --定員なし(低階|五姨太
    --定員6人(中階|四姨太
    --定員4人(中階|三姨太
貴妃  --定員2人(高階|二姨太
皇貴妃 --定員1人(高階|大姨太
……
皇后(大太太

太后|皇太后
この分類は、维基百科中国国学网からの引用です。どういうわけか、日本語による清朝後宮制度に関するページは、どれも答応と常在のランクがひっくり返っているようです。

维基百科には、このシステムは康熙時代に確立されたと書いてあるので、《甄嬛传》の舞台である雍正以降、そのシステムが継承されていったのでしょう。

しかし、一番下位の“答应”あるいは“常在”から妃嬪生活を始めるのは、宮女だけです。宮女とは、后妃(妃嬪)の面倒をみる女性たちのことですが、皇帝は気に入れば宮女も側室にできたわけです。

皇后
宮女は、毎年一度、5旗から選抜されて、後宮に送り込まれたということです。

清朝というかその前身の女真とか後金には“八旗”という軍事制度があるわけですが、皇帝直属の3旗以外を5旗というそうです。たぶん、宮女たちはそこそこのお家から集められたのでしょう。

25歳になっても側室にならなかった宮女は、家に帰ってもよいということになっていたそうです。このシステムによって、宮女たちは常にフレッシュに保たれていたということになります。

余答应
このドラマでは、雪の降るお正月、皇帝と甄嬛の微妙なすれ違いがあって、しかしその結果、甄嬛の代わりに宮女の余莺儿が、皇帝に愛されて“答应”になります。第5集での皇帝と甄嬛のすれ違いシーンは、このドラマの見どころのひとつのように思います。

宮女は1年に一度選抜されますが、“秀女”と呼ばれる妃嬪候補が選抜されるのが、3年に一度開催される“选秀女”です。これには、八旗の名門のお嬢様たちが参加させられるようです。

华妃
ドラマにおいては、各地から選抜されてきたお嬢様たちを、皇太后と皇帝が面接して、結局6人くらいが秀女に採用されたように思います。

秀女に選抜されると、家柄に応じて、住居とか、お付きの宮女と宦官(太监)とか、お給金が与えられるようです。

秀女は、そのまま妃嬪の地位が保証されているわけではないようで、皇帝がお試しして、はじめて正式な妃嬪(后妃)になるようです。秀女が側室になると、宮女とは違って、いきなり贵人になります。

秀女(夏冬春)
--ということなわけなのですが、ドラマでは、秀女に選抜されたとたん、家柄によってはじめからランクが決まっているように描かれています。

沈眉庄は贵人、甄嬛と夏冬春は常在、安陵容は答応です。つまり、秀女に選抜されても、家柄によっては答応・常在からスタートしなければなりません。

なお、ランクに関係なく、妃嫔(后妃)を世話する人は、妃嫔(后妃)を“小主”と呼ぶようです。

妃嬪の最高位が“皇貴妃”です。これは、もし皇后になにかがあった場合、新たな皇后になるための妃嬪です。ただし、現実には“皇貴妃”がおかれることはなかったようです。

つまり、後妃(妃嬪)の実質的な最高位は“貴妃”ということになります。

ある程度上位の妃嬪になると、下の者たちは“娘娘”と呼ばなければならないようです。テレビドラマ《》では、僖嫔も“僖嫔娘娘”と呼ばれていたように思います。中階(中級)以上の定員のある妃嬪になると、“娘娘”になるのかもしれません。

では、皇帝が死んでしまったら妃嬪たちはどうなるのかというと、お家に帰れるわけではなく、生涯後宮で、亡き皇帝を拝み続けるようです。

齐妃
後宮で一番偉いのが皇后ですが、だからといって皇后の息子が皇帝になれるというわけではありません。テレビドラマ《》は皇位争いの物語でもあったわけですが、康熙を継いだ四阿哥=雍正は、密建皇储太子密建)というしくみを作ります。

これは、皇帝が後継者を公開せずに、後継者の名前を乾清宮の“正大光明”という額の裏に置いておき、皇帝が崩御した後、後継者が明らかになるというシステムです。

このおかげで清朝の皇帝の息子たちはみな勤勉であったなどと語られることもあるようですが、実際には建前だけのシステムだったようです。

清朝政府は、当初はなにごとにおいても無駄使いを排したシステムを導入したため、後宮の規模は一貫して大きくはなく、妃嬪の数も数十人程度であったようです。

宮女とともに妃嬪のお世話をするのが宦官(太监|タイジエン)です。後宮が小規模なため、宦官の数も多くはありません。このため清朝において、政治に大きく関与した宦官は韦小宝だけだったのでした。

孙俪 - 非常静距离《甄嬛传》- Part 1


ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后

0 件のコメント:

コメントを投稿