2015年5月16日土曜日

活佛济公 ・ 第一部(第一季) 2010|陈浩民の妖怪ドラマは、なぜ説教臭くないのか



活佛という言葉は直訳すれば “生き仏” という意味ですが、もうひとつ “(昔の小説で)神通力をもって世を救い人々を助ける僧” という意味もあります。だから “活佛济公” とは、“神通力で人々を救う坊さん” ということになります。

济公が誰かというと、周星驰ファンならば 《マッド・モンク 魔界ドラゴンファイター》 1993 で、周星驰が演じた济公を知っているかもしれません。

《济公》 周星驰
この映画の原題は 《济公》 で、日本のサイトでは “天界を追放されかかった天使ローハンは、下界で3人の悪人(娼婦、物乞い、大悪党)を改心させれば許されると言われ、超能力抜きで、観音様からもらった魔法の渋団扇ひとつで大奮闘する” と紹介されています。周星驰の 《济公》 以外にも、济公ものの映画やドラマはけっこうあります。

ここで紹介するのは

活佛济公 第一部(第一季) 2010

というテレビドラマです。多くの济公伝承があるのでしょうが、このドラマは清朝時代に郭小亭という人が書いた 《济公全传》 という小説をベースにして、さらには各種民间伝承も取り入れているそうです。

なお、このドラマの主な登場人物については、こっちの記事にまとめておきました。

活佛济公 第一部  2010|济公(陈浩民)と愉快な仲間たち


ここでの济公が誰かというと、十八羅漢のひとりである降龙罗汉です。羅漢(阿羅漢)が何かというとインド仏教では “悟りを得て人々の尊敬と供養を受ける資格を備えた人。小乗仏教では修行者の到達しうる最高の位とする” ということだそうです。

ただし、“中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を十六羅漢、第1回の仏典編集(結集けちじゅう)に集まった500人の弟子を五百羅漢と称して図像化することも盛んであった” とのことです。

さらに十八羅漢というのもあって、たいていは十六羅漢+二人なのですが、+二人が誰なのかは宗派などによってまちまちだということです(以上、羅漢については日本語版ウィキペディアの情報です)。


胭脂と大鹏
小説 《济公全传》 の内容は知りませんが、このテレビドラマ 《活佛济公》 がどんな物語なのか、簡単に説明しておきましょう。

仙界では大鵬(伝説上の巨大な鳥)が謀反を起こし、仏宝を破壊しはじめます。それを見つけた宝物殿の見張番灵禅子は、大鵬と闘います。しかし、灵禅子は敗けてしまい、大鵬は逃げてしまいます。

しかし、十八羅漢たちは大鵬をつかまえ、降龙罗汉は胖仙童と瘦仙童に牢屋の大鵬を見張らせます。ところが、胖仙童と瘦仙童は大鵬に騙されてしまう、大鵬は外界に逃げてしまいます。

胖仙童と瘦仙童は罰として、下凡(神仙が下界に下りること)を命じられます。また、降龙罗汉も大鵬を捉えるため下凡することになります。


降龙罗汉は李家の息子として生まれ、李修缘として育ちます。李修缘は子供の頃からとなりの胭脂と仲良しで、ついにふたりの結婚式の日が訪れます。なんとこの時、李修缘は突然自分の使命を思い出し、花嫁を置き去りにして出家してしまいます。

修缘が出家したのは灵隐寺で、道济という名前を与えられます。この寺の监寺(総まとめ役)が广亮で、仙界を下凡した胖仙童です。广亮の子分である必清が瘦仙童の外界での姿です。

こうして济公(道济)と广亮、必清を中心としたドタバタ妖怪退治物語がはじまります。


济公を演じているのは、陈浩民という香港人です。このブログでは 《天天有喜》 2013 でも紹介しましたが、陈浩民はいわば妖怪ものテレビドラマのヒーローです。

街中でスカウトされた陈浩民は、まずモデルとして活躍して、ドラマなどにも出るようになります。そして、最も経典な 《天龙八部》 として名高い黄日华版 《天龙八部》 1997 で、段誉を演じて注目を集めます。

以後、《西游记贰(天地争霸美猴王)》 の孙悟空、《封神榜》 の哪吒など、妖怪と戦うお笑いヒーローとして活躍していきます。

大陸ドラマであるこの 《活佛济公》 2010 が大ヒットしてからは、陈浩民はもっぱら大陸ドラマに出ています。《活佛济公》 はシリーズ化され、これまでに全部で4つ作られています。

活佛济公第二部(第二季) 2011
活佛济公第三部(第三季) 2012
新活佛济公 2014

陈浩民の最新作は、《天天有喜2之人间有爱》 で、《天天有喜》 2013 の直接の続編ではありません。《天天有喜》 の陈浩民はただの木こりだったわけですが、《天天有喜2》 では妖怪狩人という設定になっています。


ぼくが、中国・香港のスターで誰が一番嫌いかと言ったら真っ先に挙げるべきは成龙(ジャッキー・チェン)です。成龙の映画をきちんと見たことはないので、正しいかどうかはわかりませんが、成龙は “アクション(カンフー)とお笑いと愛と涙と道徳” で有名になったように思います。

ぼくは、正義のヒーローが大嫌いだというわけではありません。でも、成龙が観客に無理やり強要する道徳は、たとえば学校の先生とかが説く道徳と直結しているように思います。

もちろん、成龙は香港きっての中国派であり、昨年(2014年)9月の反政府デモ(雨傘革命)でも、先陣をきって “デモなんか、すぐにやめろ” と言っていました。すなわち、成龙が強要する道徳とは、安倍なにがしとか习大大とかが振りかざす権力や国家と一直線につながると言っていいでしょう。

陈浩民の济公だって成龙と同様、事件が解決したとき当事者から感謝されると “压力太大了吧” とか言いながら、人の道とか道徳を語ります。

このとき、ぼくは素直に “そうだそうだ” と思うこともあれば、ときには涙だって出てきます。

それは、陈浩民が演じる妖怪退治ヒーローが語るお説教は、決して権力や国家とつながらないからです。それはただ単に世間一般(でもないのですが)の人たちにとっての愛情物語であり、決して権力や国家にとっての徳ではないのです。

《活佛濟公》片頭曲

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