2012年4月4日水曜日

甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第46集~第50集|戻ってきた笑顔

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ラベル“甄嬛传” 17

ようやく、甄嬛に孙俪(スン・リー)らしい笑顔が戻ってきます。やっぱり、孙俪の笑顔はとてもきれいです。

孙俪の笑顔に匹敵できるのは、周迅くらいのように思います。でも、周迅の笑顔は、最近はなんだか封印されているようです。

杨幂(ヤン・ミー)にお似合いなのは冷笑で、赵薇(ヴィッキー・チャオ)にお似合いなのはばか笑いです。

ただし、なんで甄嬛の笑顔に出会えるのかというと、果郡王(允礼)といけないことをしてしまうからです。

中国のテレビドラマは、オープニングタイトルとエンディングタイトルに、ストーリーのおおよそが集約されています。したがって、甄嬛がいずれ尼寺に出家することをぼくたちは知っていました。

自分が、皇帝にとって初代皇后 ・ 純元の代わりにすぎないのだと絶望した甄嬛は、娘を産んだあと、皇帝から出家の許しを受け、甘露寺に出家します。

《宮》 で晴川(杨幂)が墓守りに追いやられたときもそうであったように、甄嬛は甘露寺においていじめにあいます。

《神雕侠侣》 2006  李莫愁
甘露寺において、甄嬛に名付けられる名前は“莫愁”です。“憂えるなかれ”というような意味だと思います。“莫愁”といえば、《神雕侠侣》の悪女 ・ 李莫愁が思い出されます。ぼくは、《神雕侠侣》 2006 の李莫愁(孟广美)がとっても好きでした。

さて、甘露寺とは、果郡王のママが隠居しているお寺であって、甄嬛は果郡王のママに出会います。そんなわけで、ここには果郡王もちょくちょくやってきます。

二度と後宮に戻ることはないと覚悟している甄嬛は、ついには果郡王の愛を受け入れます。たびたびの困難を果郡王に救ってもらっている甄嬛にとって、それはいけないことではないでしょう。

病気で高熱を発している嬛嬛のために、果郡王は雪のなかで自らの体を冷やし、嬛嬛の熱を冷ましてあげます。二人の愛をいっそう育むのは、李白 《长相思》 にまつわるあれこれです。

しかし、宮廷にいる皇帝は、どうも嬛嬛(ホアンホアン)のことを忘れられないようです。病気になって意識を失っても、うわごとで“嬛嬛”とつぶやいたりします。その場には果郡王もいて、彼の気持ちはおだやかではありません。

嬛嬛と果郡王の仲は、果郡王のママも認めてくれます。このとき面白くないのが浣碧です。彼女は、果郡王が好きだからです。果郡王と嬛嬛は、浣碧と果郡王の部下との結婚を画策するのですが、浣碧はこれを拒絶します。

嬛嬛と果郡王の仲に、もう一人面白くない人がいます。もちろん、嬛嬛の出家はもしかしたら大きなチャンス到来だったはずの温实初です。

最後に、最近の新しいキャラクタに注目しておきましょう。

第41集から登場しているのが祺贵人は、貴族出身の鼻のお高いお嬢様です。華妃や曹贵人が死んでしまうため、意地悪な妃嫔として補充されただけで、大きな役所ではないのかもしれません。

波乱を感じさせてくれるのは、第50集で登場する叶澜依(イエ・ランイー)です。彼女が最初に登場するのは、长街で果郡王とすれ違うシーンです。ここで、彼女と果郡王がお友達であることがわかります。

皇帝は、安陵容のところばかりに通っていたのですが、ついには、妃嫔(后妃)みんなに飽きてしまいます。で、苏培盛とだらだら散歩していると、百驯马(トレセン)にたどり着きます。

ここで、りりしく荒馬を調教しているのが叶澜依です。彼女は、驯马女(調教師あるいは調教助手)なのでした。

ぼくたち競馬ファンは、彼女の活躍に期待したいと思います。


ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后

甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第51集~第55集|回宫(後宮再び)

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ラベル“甄嬛传” 18

甄嬛が甘露寺にやって来てから、はや3年近くが経とうとしています。それ以前の2年半くらいを後宮で過ごしているわけで、甄嬛はもう22歳の大人の女です。

この段は、大きな嵐を予感させる波乱な展開が続くので、ストーリーはあまり語らないほうがいいのかもしれません。絵を見ているだけで、だいたいお話しも追えるように思います。

後宮では、华妃と甄嬛を始末した皇后一派がわがまま放題です。皇后は、太后にだって大口を叩く始末です。

皇后のお友達は、安陵容と祺贵人です。安陵容は、嫉妬と妬みと努力の結果、皇后に近づいたわけですが、祺贵人は違います。

彼女は名門のお嬢様なのです。何が名門なのかというと、清朝の軍事システムである八旗制度のなかで、どれだけ偉いのかという問題です。

この八旗のうち三旗は皇帝に直属し、これが上三旗です。残りの五旗は、下五旗ということになります。皇后と祺贵人はたぶん上三旗に属する名門であって、だから祺贵人が入宮するやすぐにつるむわけです。もちろん、この二人は満州人です。

では、漢人たちはどうなったのかというと、清朝2代目皇帝ホンタイジの時代には、漢人の八旗(漢軍八旗)も組織され、さらにはモンゴル人の八旗(蒙古八旗)も組織されたそうです。そして、満州人の八旗は、満洲八旗と呼ばれるようになったとのことです。

甄嬛は漢軍八旗に属する家のお嬢様なので、皇后にとっては甄嬛が寵愛されるのは、さらに面白くないわけです。

後宮のなかで、ちょっと孤立ぎみなのがちょっとお年寄り気味な齐妃です。とはいえ、齐妃には実質的な長男三阿哥がいます。とはいえすでに、皇后と安陵容の暗躍で、三阿哥の養育権は皇后に奪われてしまっています。

中国王朝においては、皇后であるからといって自動的に太后になれるとは限りません。皇帝の長男でああるからといって、自動的に後を継げるわけではありません。

だからこそ、皇后だってがんばらなくちゃいけないわけです。皇后は、さらに齐妃に追い打ちをかけます。

第50集の最後で、トレセンの女調教師叶澜依に目をとめた皇帝は、宮女でもない彼女をいきなり答応にしてしまい、後宮は大騒ぎになります。

叶澜依は、皇帝にも妃嫔(后妃)にも興味がないので、皇帝にも妃嫔にも大胆な冷たい態度で臨みます。

皇后は齐妃に、叶澜依に例の作戦の実行をそそのかします。皇帝たちが华妃にしかけた、妊娠できなくさせてしまう作戦です。

齐妃は、自分と三阿哥がかわいいあまりに、それが皇后の策略であるとも知らず、これを実行してしまいます。

待ってましたとばかりに、この事件の犯人が齐妃であると責めるのは皇后です。あわれ齐妃は自殺してしまい、皇后は三阿哥を本格的に太子にするための作戦を開始します。

あと、叶澜依が白いシャム猫を飼っていることにも注意しておきましょう。甄嬛は猫嫌いです。

本筋をちょっと書いてしまうと、甄嬛はついに回宫を決意します。しかし、出家した甄嬛が、いったいどうしたら回宫できるというのでしょうか。このため槿汐は、“对食”を決意します。

“对食”というのは日本語に直訳すれば “共食い” みたいな意味のようです。百度百科には、2つの意味があると書かれています。

1つは“宫里女子间的同性恋(宮廷の女の子たちのレズビアン)”であり、もう1つは“宫女与和太监结成挂名夫妻(宫女と宦官の名ばかりの結婚)”です。

槿汐は、自らを犠牲にしつつ、昔なじみの苏培盛を誘惑して “对食” をしかけ、甄嬛の回宫のきっかけを作ります。ただし、宮廷で宮女と太监の結婚が許されるのかどうか、ぼくは知りません。
*
さあ、ぼくたちは、第55集のラストから第56集のはじめにかけての華麗なシーンを楽しみましょう。甄嬛の仮面は幾重にも重なり、ついには(日本語の意味での)鬼になります。

ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后


甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第56集~第60集|小競り合いの応酬

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ラベル“甄嬛传” 19

甄嬛の回宮については、後宮の面々はもちろん、官僚たちの反発も強いものがありました。このため、皇帝はどんな手を打ったのかというのは、第55集で語られたことでした。

皇帝は漢人である甄氏を満州人にして、位の高い八旗のひとつに加えます。さらに、甄嬛を四阿哥の生母とします。しかし、四阿哥もすでに10代の少年です。22歳の女性がママであるというのは無理があるため、甄嬛は32歳になります。

また、ついには甄嬛を“妃”に昇格させるのですがこれまでの“菀”という名前はもはや縁起がよくないので熹妃とします。

こうなってしまうと、もう誰も公には文句は言えません。

甄嬛が出家している間、沈眉庄にご奉公していた小允子も、甄嬛のもとに戻ってきます。流朱がいなくなってしまった今、ぼくたちをときおりなごませてくれるのは小允子です。

第五集で、甄嬛がずっと病気のため、ほとんどの宮女と宦官が鞍替えしてしまうとき、小允子は自分が鞍替えしない理由をこう述べています。

“奴才兄弟受常在这等恩惠,一定尽心侍奉。今生报不完的,将来死了变个大青牛,驮着小主成菩萨去。”
われら兄弟は常在さまに恩があるので、心をつくして仕えます。もし、今生で恩に報えなければ、死んだ後、大きな青牛になって、小主を菩薩にするため、小主を背負ってごいっしょいたします。

第56集-第60集は大きな波乱はない(わけではない)ものの、皇后一派と甄嬛の小競り合いが繰り返されます。

皇后一派の攻撃のひとつが、槿汐と苏培盛の追い落とし作戦です。太监と宮女の恋などとんでもないと、二人は取り調べられ、槿汐の部屋から春画が描かれた箱が発見され、二人は逮捕されてしまいます。

太监と宮女の結婚(对食)は、百度百科の記事をざっと眺めてみると、大昔から珍しいことではないのだけれど、それがどれくらいいけないか、どれくらい許されるのかというのは、時代時代によって異なるようです。こんな問題が、成文化されることはなかったのでしょう。

娘・胧月を敬妃に託して出家した甄嬛ですが、回宮してみると、胧月は敬妃になついていて、甄嬛が本当のママであることなど認識できません。敬妃はかつては甄嬛にあれこれよくしてくれたのですが、皇后の画策もあって、いまでは頼れるおねえさんではなくなってしまってのです。

そこで、甄嬛はインテリで病弱な端妃に頼って、槿汐と苏培盛の救出を画策します。

皇帝は、そんなあれこれで槿汐と苏培盛を許してあげるのすが、さらには二人を夫婦として認めてあげます。甄嬛の回宮ために“对食”を覚悟したかに見えた槿汐ですが、今や、苏培盛と幸せな時間を過ごすこともあるようです。

甄嬛の皇后一派に対する攻撃のひとつは、祺贵人追い落とし作戦です。甄嬛は、皇帝に祺贵人の宮女虐待現場を見せつけ、祺贵人を外出禁止にさせます。

あれこれの小競り合いのなかでも、出産まじかの甄嬛がお腹を突き出しながら、祺贵人たちに偉そうにお説教するシーンは、見どころのひとつだと思います。孙俪ファンではなくても、ここは大笑いできると思うので見逃さないでください。

もうひとつ朗報があります。眉庄がついに懐妊します。自分に対する皇帝の仕打ちが許せなかった眉庄ですが、ある日、とびきりのおめかしをして、皇帝が出てくるところを待ち伏せして、皇帝にもらった腕輪がなくなってしまったと嘘をつきながら皇帝を誘惑します。

このほか気になるのは、果郡王とか安陵容とか叶澜依(宁贵人)などの動向でしょうか。


ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后

甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第61集~第65集|二人のじゃじゃ馬

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ラベル“甄嬛传” 20

叶澜依(宁贵人)は、甄嬛(熹贵妃)の喉元に匕首を突き付けます。叶澜依にとって何が問題なのかというと、どうも甄嬛の果郡王に対する冷たい態度が気に入らないようです。

この野生児(女)は、皇帝も皇后も恐れはしないのですが、恩を受けた果郡王だけは大切にしたいようです。かつて、甄嬛に猫をけしかけたのも、甄嬛が果郡王に冷たい態度を取ったからみたいです。

このおかげで甄嬛は産気づくわけですが、甄嬛にとっては、このため早産になったという言い訳が手に入れられたわけで、叶澜依は知らずに甄嬛の手助けをしていたことになります。

この段では、もうひとり、皇帝を恐れないじゃじゃ馬が登場します。宮女として甄嬛に仕えることになった甄嬛の妹--玉娆です。叶澜依が野生の女であるのに対して、玉娆は天然系の女の子です。

叶澜依と玉娆は、この段の要所要所で、大筋とは関係ないものの、花を添えてくれることになります。

甄嬛は、まず恐喝まがいに、敬妃を自陣に取り込みます。一方、皇后陣営はどうなのかというと、祺贵人と陵容が内ゲバをしている始末で、なんだかちょっと先が思いやられます。

さあ、ここから次から次へと、あれよあれよと波乱な出来事が続きます。

まずは、祺贵人によって自慢の喉をつぶされた陵容は、寵愛獲得作戦として一大スペクタクルを展開します。

彼女は子供を産めない身になることを覚悟のうえでダイエットに取り組み、大みそかの日のフィギュアスケート大会で、真央ちゃんばりのスケーティングを披露して、皇帝の寵愛を再獲得します。

家柄の低い陵容は、つねに芸をもって寵愛を獲得するわけで、彼女の涙ぐましい努力には頭が下がります。

このドラマではこれまでも大きな山場はいくつかあったわけですが、ここで、もうひとつの山場が訪れます。皇后と祺贵人が、甄嬛に対して、決定的な攻撃をしかけるからです。祺贵人は、甄嬛と温实初の密通を、皇后に訴えます。

玉娆 
的外れな攻撃ではあるわけです。しかし、中国においては、敵を失脚させるためには、どんなにいいかげんな理由であろうと、それに理があれば通ってしまうのは、司馬遷“史記”でもたくさん叙述されています。

したがって、この攻撃に対して甄嬛も、慎重に対処しなければなりません。ましてや、甄嬛が産んだ双子のパパは果郡王であり、出産間近かの沈眉庄のお腹のなかの子のパパは温实初だからです。でも、この時点では、甄嬛は、眉庄と温实初の関係を知ってはいません。

言われのない危機をなんとか乗り切った甄嬛は、皇后にかわって、後宮管理の全権を獲得します。このたくらみを仕組んだのは皇后であることは、誰にもみえみえだからです。

さらにはこの段では、浣碧が果郡王のお嫁さんになります。さらには、果郡王は皇帝の意向によって、沛国の公女もお嫁さんにします。

そんな果郡王に対して、熹贵妃(甄嬛)と宁贵人(叶澜依)がいっしょにため息をつくシーンは、とても印象的です。

現実にはなんの根拠がなくても一理があれば簡単に政敵を失脚させてしまうことができるとか、自分の姉の元愛人をだんなにして喜ぶ浣碧とかは、日本人にはなかなか理解できないことと思います。

でも、こういうのが中国人にとって、ごく普通な行為や好意であり、感情であるということは、金庸ドラマのファンであれば、よくわかっていることと思います。

“自宮”といえば思い出されるのが、金庸ものドラマのひとつ 《笑傲江湖》 の三人です。つまり、东方不败と林平之、そして岳不群の3人です。

甄嬛との関係を疑われた温实初は、なんと“自宮”してしまいます。

“自宮”は自分でチンチンを切ってしまうわけですが、友達をかばった司馬遷は刑罰としての“宮刑”に処せられます。

“宮刑”に値するお金を出せば、司馬遷はチンチンを切られることを回避できたのですが、司馬遷にはそれだけのお金がなかったそうです。

ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后

甄嬛传(宮廷の諍い女) 2011|第66集~第76集|皇后,杀了皇后

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ラベル“甄嬛传” 21
ストーリー引用+単語集(第66集~第70集|第71集~第76集)

ぼくたちは、すでに 《甄嬛传》 を第65集まで見てきました。あと残るは11集だけです。ここまで来たら、あとはもう一気に全部見てしまいましょう。

百度百科によると、雍正が密建皇储(太子密建)を導入したのは雍正元年(1723年)八月とあります。ところが、ドラマでは密建皇储の話はちっとも出てきません。

太子密建については、日本語ウィキペディアから引用しておきます。

--皇帝が生前に公式に後継者を指名せず、継承者の名前を書いた勅書を印で封印した後で紫禁城の乾清宮の正面に掲げられた「正大光明」と書かれた額の裏に置き、皇帝の崩御後、衆人立会いの下でこれを開き後継者を決めるという方式である。
--日本語ウィキペディア「太子密建」より

このドラマについて、史実とのくい違いについて話し始めたらきりがないわけです。このドラマがいかに史実をねじ曲げているのかといった文章を読んだこともあるように思います。

そもそも、この時代の満州人たちは、中国語をしゃべれないわけです。そういう意味では 《还珠格格》 《宫》 も、言語的にはでたらめなわけです。

しかし、このドラマ(というか小説)に対して、そんな指摘をすることに意味はないでしょう。このドラマの大胆なところは、最初--四阿哥が皇帝(雍正帝)に即位する--と、最後--四阿哥が皇帝(乾隆帝)に即位する--ということだけが史実であって、あとはすべてフィクションであるということです。

かつてこんな大技を繰り出したドラマなんてなかったように思います。でも、流潋紫の原作小説がどうなっているのかは、ぼくは知りません。

*

さて、これまでこのドラマのなかで、いったい何人の人たちが死んでいったことでしょう。华妃をはじめとする后妃たち。太后も亡くなります。沈眉庄も死んでしまいました。流朱なんて、10年近くも前に死んじゃっています。

ここからラストまで、いったい誰が死んでいくのでしょうか--という問題ももちろんあるわけですが、それよりも〝要紧”なのは、皇帝の死期が近づいていることです。

最後に、いくつか書きたいと思っていて書けなかったことについて書いておきます。

翻牌子
ドラマを見ていればわかることなのですが、〝翻牌子”というのは、今晩、皇帝が誰のお相手をするのかを、名札をひっくり返して、お相手を決めるというこことです。

この言葉は、 《宮》 でも出てきたように思います。


宝鹃
また、数々の薬にも注目しておきましょう。薬といえば、金庸(金庸)のお得意技なわけですが、このドラマでも翻訳不可能な数々の薬が出てきました。

ラスト直前における甄嬛と叶澜依の、薬に関しての連携は、すさみがちな物語にあって、ぼくたちをほのぼのとさせてくれます。でも……。

江福海
あと、安陵容の宮女--宝鹃(梁艺馨)は、ぼくはけっこう好きでした。

皇后付きの宮女である剪秋と、皇后付きの宦官(太监)江福海は、あれこれ憎々しかったわけですが、ついには墓穴を掘ってしまうようです。

甄嬛の、最後の言葉はこうです。

“槿汐,我……”  --やっぱり内緒にしておきましょう。

作者流潋紫:其实甄嬛是个失败者


幕后欢乐多 贵人死尸都难演


ラベル《甄嬛传》 --目次

 1 后宫・甄嬛传 2011(1)--最後の孙俪(スン・リー)
 2 后宫・甄嬛传 2011(2) --登場人物と役者
 3 后宫・甄嬛传 2011(3) --清朝後宮のしくみ
 4 后宫・甄嬛传 2011(4) --孙俪传(スン・リー伝)
 5 后宫・甄嬛传 2011(5) --名セリフ集1
 6 后宫・甄嬛传 2011(6) --名セリフ集2
 7 后宫・甄嬛传 2011(7) --名セリフ集3
 8 甄嬛传 第1集-第5集 --甄嬛の病気
 9 甄嬛传 第6集~第10集 --闘いのはじまり
10  甄嬛传 第11集~第15集 --華妃の斜陽と復活
11  甄嬛传 第16集~第20集 --浣碧の迷走
12 甄嬛传 第21集~第25集 --安陵容の憂鬱
13 甄嬛传 第26集~第30集 --“腹黑女”は日本語
14 甄嬛传 第31集~第35集 --仮面(差異と反復)
15 甄嬛传 第36集~第40集 --皇帝と甄嬛の陰謀
16 甄嬛传 第41集~第45集 --あっぱれ、流朱の死
17 甄嬛传 第46集~第50集 --戻ってきた笑顔
18 甄嬛传 第51集~第55集 --回宫(後宮再び)
19 甄嬛传 第56集~第60集 --小競り合いの応酬
20 甄嬛传 第61集~第65集 --二人のじゃじゃ馬
21 甄嬛传 第66集~第76集 --皇后,杀了皇后

2012年4月1日日曜日

《回魂夜》 1995 --ゴッホ・ニーチェ・アルトー



《賭神(ゴッドギャンブラー)》 1989 という周润发(チョウ・ユンファ)と刘德华(アンディ・ラウ)の出演するヒット映画があって、このパロディ映画である《賭聖(ゴッド・ギャンブラー 賭聖外伝)》 1991 が本家ゴッドギャンブラーシリーズよりもヒットしたことによって、周星驰(チャウ・シンチー)は香港映画のトップスターになったようです。

《賭聖》を監督したのが刘镇伟(ジェフ・ラウ)で、この人も有名になり、《92黑玫瑰对黑玫瑰(黒薔薇vs黒薔薇)》 1992 、《东成西就(大英雄)》 1993 などのヒット作を作ります。

1995年には刘镇伟監督、 周星驰主演の《大话西游(チャイニーズ・オデッセイ)》2部作が公開されますが、大ヒットには至らなかったようです。そんなわけで、刘镇伟が連続で周星期を使って起死回生に打って出たのが、この

《回魂夜(チャウ・シンチーのゴーストバスター)》 1995

のようです。この映画は、あるいは《整鬼专家》とも呼ばれます。ぼくの見たのも、タイトルは《整鬼专家》となっていました。

《回魂夜》は、現在では偉大な経典のひとつとして認知されていますが、興行的には起死回生はならなかったようです。

この後、刘镇伟は、金庸《神雕侠侣》に捧げる黑玫瑰(黒バラ)ものの快作《黑玫瑰义结金兰》 1997  を作るものの、いずれもヒットしなかったようです。

それが原因かどうかは知りませんが、刘镇伟は、しばらく沈黙してしまいます。

一方、 周星驰は自ら《大内密探零零发(008皇帝ミッション)》などを監督したりして、ついには《少林足球(少林サッカー)》で、世界の大スターとなります。

《回魂夜》での 周星驰 の役名はLeon(レオン)です。レオンとはもちろん、梁朝伟(トニー・レオン)ではなく、リュック・ベッソンの《レオン》 1994 です。

刘镇伟の映画では、《ニキータ》 1990 のパロディも何度かあったように思います。

また莫文蔚(カレン・モク)の髪型があれこれ変わるのですが、そのなかのひとつはクエンティン・タランティーノの《パルプ・フィクション》 1994 です。

ゴッホと言えばきちがいとして有名な人のひとりであるわけですが、《回魂夜》を見ながら、やはりきちがいとして有名なアルトーが書いた、ゴッホについての美しい文章を思い出してもいいでしょう。

ばあさまギャグ
--人びとは、ヴァン・ゴッホが精神的に健康だったということができる。彼は、その生涯を通じて、片方の手を焼いただけだし、それ以外としては、あるとき、おのれの左の耳を切り取ったにすぎない。
ところが、彼の生きていた世界では、人びとは、毎日、緑色のソースで煮たヴァギナや、鞭で引っぱたいて泣きわめかせた赤ん坊の、母親の性器から出てきたところをつかまえたような赤ん坊の性器を喰っていた。
「ヴァン・ゴッホ」アントナン・アルトー(ちくま学芸文庫)

きちがいと言えば、もうひとり忘れてはならない人--ニーチェがいます。

--1888年の終わり頃から、ニーチェは異様な手紙を書いている。たとえば、ストリンドベリに宛てた手紙には、こうある。「私はローマに、君主たちの会議を招集しました。私は若いドイツ皇帝を銃殺に処したいのです。ではまた、さようなら! またお会いできるでしょう。一つだけ条件があります。離婚しましょう……。ニーチェ-カエサル」。…(略)…たとえば、コジマ・ワーグナーに宛てて、「アリアドネよ、おまえを愛する。ディオニュソス」と著した書状を送る。
「ニーチェ」ジル・ドゥルーズ(ちくま学芸文庫)

刘镇伟ファンであれば、狂気をテーマにしたギャグは、後の《出水芙蓉》 2007 につながることを覚えておいてもいいでしょう。

さて、《回魂夜》とは、どんな意味でしょうか。百度百科の《回魂夜》のページには、いくつかの“回魂夜”の“民间习俗”が紹介されています。

《越光宝盒》を思い出してください
人死后的第七天,俗称头七,也叫回魂夜,也就是说死者有什么未了之事,由鬼差押解回来,与阳世间的亲人见面;或者是带一帮刚在阴间认识的新朋友回来阳间,阳间的亲人就摆一桌酒席,让死者招待朋友。各处说法不一,可是意思也差不多。

未了wèiliǎo:まだ終わっていない
押解yājiè:囚人や捕虜を護送する
阳世yángshì:この世
阴间yīnjiān:あの世

人が死んでから7日のことを、俗に“头七”と言い、あるいは“回魂夜”とも呼ばれる。この世に未練のある死者が、現世に帰ってきて家族と会う日のことである。また、死者があの世でできた新しい友達を連れて帰ってくる日であるとも言われる。この日、死者が友達をもてなせるように、家族は宴会の席を設ける。

在先人死后的第七日俗称为「头七」,在传统信仰中同时称「头七」为回魂夜,相传先人的灵魂当晚会由牛头马面陪同下,回到生前居住的地方作最后缅怀,先人的灵魂还可以像生前一般在家中活动。

相传xiāngchuán:~と伝えられている
牛头马面:ごずめず
陪同péitóng:お供する、付き添う
缅怀miǎnhuái:追想する、しのぶ

わあ! 《東成西就 2011》……
“回魂夜”の夜には、死者の霊は“牛头马面”にお供され帰ってきて、家族と最後のお別れをする。このとき、死者の霊は、生きていたときと同じように活動できる。

また、玄学xuánxué(玄学|げんがく)の専門家方海阅が言うには、“回魂夜”には赤い紙に観音などを記したお札を貼っておくとよい、くれぐれも黄色いお札を貼ってはいけない、黄色とは“神光”を代表するからである--などということも書かれています。

回魂夜(整鬼專家)主題曲